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■もうひとつのルーヴル

ツアーでルーヴル博物館を廻っていると、古代ギリシャ彫刻の
展示室などでは、
中学生ぐらいの子供たちが床にペッタリ座りこんで輪を作り、
デッサンしていたりします。
絵画室に進んでいくと、今度はあちこちに画架を立てかけ、
ヒゲぼうぼうのおじさんも、若いお姐さんも、オバサンも
絵の具で汚れた白衣に長〜い筆をもって模写に励んでいます。
「いいんですか? あの人たち・・・」
なんてお客さんは訊きますが、ルーヴル美術館は元々そういう所
だったのです。
今から五世紀半ほども昔、フィレンツェのメディチ家当主に
ローレンツォ
という人がいました。器量も広く、豪胆な性格ゆえ、
「天晴れの介」(イル マンニフィコ)
と呼ばれたローレンツォは、莫大な財産を以って収集した
古代ギリシャの美しい彫刻類を自邸庭園に並べ、
芸術志望の若い人たちが修練する学校にしていたのでした。
中でも
ミケランジェロ
はここの彫刻に触れ、天才を発揮し、認められ、
ローレンツォの
三人の子供たちと生活を共にして育て上げられたのでした。
フランスがルネッサンス・フィレンツェのこの精神を学び取り、
以来変わらぬ伝統としたことは明らかです。
 フランス大革命によって、それまで王家がコレクション
していた芸術作品類をもとに、ルーヴル博物館を創立し、
一般公開したのは、
もう二百年ほども前のこと。
こうして十九世紀、現在オルセー美術館で見られる絵画、
彫刻等の作家たちも、ルーヴルに通い、
過去の巨匠たちのオリジナルを手本に、
腕を磨いたのでした。
印象派、バルビゾン派・・・中でもエドゥアール・マネは
美しいものには目がなかったのでしょう。
ルーヴルに模写に来ていた美人画家、
ベルト・モリゾーさん
を見初めてしまったのも研究熱心ゆえのことだったのでしょう。
それではここで、2002年度パリ派遣留学生としてルーヴルでも
研修された岩田寿秋氏の素晴らしい体験談
「パリ通信 2」
をご紹介します。


黒澤 オサム
>>プロフィール









ローレンツォ


ミケランジェロ作
「奴隷」




エドゥアール・マネ


ベルト・モリゾー




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