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■ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト〜アントワーヌ・ジャン・グロ(1771-1835)





  新古典派の巨匠ジャック・ルイ・ダヴィドの弟子達の中で最もすぐれた才能の持ち主、グロはナポレオン・ボナパルトのために多くの作品を残しました。

  ナポレオンは芸術を自分の宣伝(プロパガンダ)に巧みに利用した権力者の一人です。

  この” ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト”の作品はまさにこのようなナポレオンの意にかなったものといえるでしょう。

  1804年、ナポレオンは国民投票で絶大支持を得て皇帝に選ばれた頃に、イギリスのジャーナリスムはナポレオンにとってよからぬ情報をながします。
―――1799年3月、ナポレオンの軍隊がトルコとの戦いの中で、現在のイスラエルの一都市ジャファ(ヤッファ)を奪取した際、軍隊の間にペストが発生し多数の病人がでたのでした。それをナポレオンは戦いの足かせと判断し、食糧にアヘンを混ぜ食べさせて580人の兵士を殺害したという彼の残虐行為を糾弾する内容でした。このような説を否定し、洗い流すための作品をナポレオンはグロに命じました。

  グロはナポレオンの武勲を描くにとどまらず、不死身の聖なる人物としてナポレオンを描きあげたのです。

  ペストで苦しみ、うめき声をあげている者、半分死んだ状態で地によこたわっている者、そんな地獄のような悲惨な場へナポレオンは足をふみ入れました。そして、ペスト患者の体に素手でさわるのです・・・あのイエス・キリストが病人にふれ奇跡的に病をなおしている場面ようであり、又、フランス歴代の王が戴冠式のあとに大勢の病人にふれてまわった時の姿でもあります。

  ナポレオンの右うしろの医者は慎重さからナポレオンの行動を制しており、左うしろの軍人は自ら感染することをおそれハンケチを口、鼻にあてています。

  それだけにナポレオンの行動は神々しく又偉大に思われたでしょう。事実1804年9月のサロン会場に来た観客達は、この絵をみて感動したと記録されています。

  ナポレオンの回りの明るさとあざやかな色彩は”生気”を放ち、すみずみは暗く”死”がただよっています。

  背景にはフランス旗とミナレ(モスクの尖塔)が愛国の意識とオリエンタリズムの異国情緒をよびおこします。このようなグロの作品は後に多くの19世紀画家に影響を与えました。


長手 麗子
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