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■民衆を導く自由の女神〜ユージェーヌ ドラクロア (1798-1863)





  この絵は勝利の三日間といわれる七月革命の民衆を描いたものです。自由の象徴として、中央に立つ女神はフリジア帽(フランス革命期に革命派が被った赤い縁なし帽子)をかぶり三色旗を掲げて表現されています。
  暗黒な空を被う雲、あちこちに上がる硝煙が人々の不安と同時に再度の革命を願う強い意志を表し、民衆の激しい怒号が聞こえて来そうです。

  1830年7月28日パリの夏、ノートルダム大聖堂や市街を背景に中央には銃剣を持つ女神が先頭に、後に続くあらゆる階層の民集が武器を手にバリケードを踏み越えて進んできます。足元には王党軍、負傷兵、死人が折り重なり、ピストルを持つ子供までが参加しています。

  このようにドラクロアは現実と幻想を同時に描くことによって革命の時代に生きた人々を表現しています。

  ナポレオン1世が失脚した後、王制復古となり、1824年から即位したシャルル10世は反動的、つまり国民の願いとはかけ離れた政策を行いました。 それに反発したパリ市民や近郊から集まつた民衆による蜂起で街は占拠されます。

  その結果、王は譲位してイギリスへ亡命し、ルイ・フィリツプが即位して7月王制が始まります。
  この絵の構図は三角を基盤にして安定を計り、全体の暗い色調の中に三色旗の鮮やかな赤白紺を各所に使うことで色彩が効果的に響きあっています。
  ドラクロアの作品の中では珍しい時事的な主題を描いた絵で、フランス紙幣にも使われました。

  ドラクロアは17歳で新古典派の画家ゲランのアトリエに入門し、その後も美術学校でゲランのアカデミツクな教育を受けながら個性を開花させ、同門下のジェリコーが33歳で逝った後、ロマン派の旗手となっていきます。

  ドラクロアのロマン主義的テーマの選択は文学に源泉を求めたものが多く、シェイクスピア、 ウオルター・スコツト、 バイロン、 ダンテの文学の世界に傾倒します。特にバイロンの詩作品が多くのインスピレーションを与え続けます。

  もう一つのテーマは古代やオリエント世界です。1832年ドラクロア自身もフランス使節団の記録係としてモロツコ、 アルジェリアに旅行して7冊もの画帳と素描、水彩画、スケツチを持ち帰ります。
  当地で見た予想を超えた光と色彩の輝き、そして西欧とは違う文化、風俗がその後の画家の芸術の源泉となります。
  地中海世界のきらきらする光によって震動して初めて色彩が美しくなることを確かめ、彼の思いどうりの輝きをつくり出す色の使い方を体系的に用いて、又色彩が感情に及ぼす効果も大胆に使用しました。

  ドラクロアの作品は古典的理性に基きながら才気あふれる構想、 暗く沈滞する情熱、一方生命感あふれる表現力と矛盾する諸要素を使いながら調和のとれた絵を描きました。
  特に人間の激しい情熱的な行動を文学の中に見出して感情と色彩あふれた絵画が多いのです。しかし決まったテーマ、 秩序ある構図、 理想的表現に慣れた19世紀の公的な美術界は長い間ドラクロアを承認しようとしませんでした。

  20年来の宿願が実りアカデミーの会員となったのは1857年のことでした。芸術創造の為の天分に恵まれていてその創造力、強固な精神力と意志は並外れたもので公的サロンに対立しながら、大作を描き続けたドラクロアの生涯は不断の戦いでした。1863年生涯独身を通し30年間仕えてきた家政婦ジェニー・ル・ギューに看取られて亡くなります。


畠山 知子
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