フィニステールとは「地の果て」と言う意味で,昔からのケルトの伝統を色濃く残している所です。その中心地カンペールはかってのコルヌアイユ王国の首都で今はカンペール焼きで有名,パリから565km。
その他,魚が水揚げされる城壁港コンカルノー、アーサー王の円卓の騎士トリスタンとイズルデの伝説が残るドアルネ,美しい村ロクロナン19世紀芸術家のコロニーとなったポンタヴェン,ブルターニュ独特のカルヴェール等見所の多い所です。そしてオマールエビ,手長エビ,生ガキ等の海の幸がいっぱい、又、クレープガレットの産地でもあります。
ゴーギャンとポンタヴェン
フランスの最西端に突き出た半島であるブルターニュ地方の小村は20年来多くの芸術家を集めていました。村の中心を澄んだ水のアヴェン川が流れ,水車が回り芸術的な雰囲気をたたえた美しい村で,民族衣装を着た住人が喜んで芸術家のモデルとなるような所でした。
そういうポンタヴェンをゴーギャンが初めて訪れたのは1886年7月のことで家族とも別れ,パリで生活苦にあえいでいた彼は「ブルターニュの田舎で労苦から解放され,絵に専念する」ことを夢見ていました。
それはゴーギャンの生涯続く,旅への憧れの始まりでもありました。ゴーギャンは14時間後にポンタヴェンに着きグロアネク夫人の経営する下宿屋に落ち着きます。この下宿は芸術家が集まるコロニーのようになっていました。ポンタヴェンでのゴーギャンはパリの芸術家そして印象派画家として他の芸術家に尊敬されますがゴーギャンの作風は一挙に斬新なものとなっていき,印象派からだんだん離れ,彼独自のものを形成していきます。特に第二回のポンタヴェン滞在(1888年1月―10月)はゴーギャンの生涯で最も重要な時期となります。
1888年ポンタヴェンにやって来たエミール・ベルナールとの出会いがかぎとなりますがベルナールはすでに鮮やかで多様な色彩をくっきりとした輪郭線で囲んだ「クロワニズム」の絵を描き,ゴーギャンに影響を与えていきます。ベルナールは印象主義のように自然を模倣するのではなく物体の正確な形など求めず,その形を人が丸いと思うか四角いと思うかが重要なことだと説きます。1888年ゴーギャンの技法は印象派風のものから色面で画面を構成する,つまり中世のステンドグラスや日本の版画をもとにベルナールがつくりだした「クロワニズム」の手法を参考に形と色を総合する「総合芸術」理論に発展していきます。
ゴーギャンとゴッホ
1886年の秋,最初のポンタヴェン滞在からパリへ戻ったゴーギャンはゴッホに出会い二人は意気投合しました。ゴッホはゴーギャンがポンタヴェンでつくったような藝術家村をアルルにもつくりたいと夢見るようになります。1888年10月ゴーギャンはゴッホの弟テオの計らいでアルルにやって来ました。彼はエミール・ベルナールの描いた「牧場のブルターニュの女達」を携えていました。奥行き表現をわざと無視し「クロワニズム」に則って描かれたもので,ゴッホは興奮してそれを模写します。こうして二人は藝術論を戦わせながらアルルの街を歩き回りキャンバスを並べ,同じテーマに取り組みます。風景画では「アリスカン」人物画では「ジーヌ夫人」等。
しかし個性の強い二人の芸術家の生活は次第にぎくしゃくしたものとなっていきました。あまりに純粋で一徹なゴッホ,傲慢なほどに自分の論理を貫くゴーギャン,芸術的資質についてはゴーギャンの言葉によれば「ゴッホはロマン派的でゴーギャンはプリミチィフなものに惹かれる」。もともとゴーギャンはアルルの街には魅力を感じていたわけではなく、もっとプリミチィフな原始的世界への憧れが強くありました。こうしてゴーギャンは傷ついたゴッホを残して未来への夢を実現すべく旅立っていくのです。
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ポンタヴェンの屋根
ケルメンテック水車(Moulin Kermentec)
グロアネク下宿
黄色いキリスト
トレマロ礼拝堂
ニゾンのカルヴェール
「緑のキリスト」
1889年(Bruxelles : Musee Royaux d' Art et Histoire)
ゴーギャンの彫刻
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