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■1944年6月6日

 <秋の日のヴィオロンのため息の身に沁みてひたぶるに裏悲し、>

 1944年、6月4日、このような詩がロンドン放送から流れて来ました。ヴェルレーヌの詩がノルマンディー上陸作戦敢行予告の暗号に使われたのです。
 モン・サン・ミシェルツアーでノルマンディー地方を横断する途中、良く紹介されるノルマンディー上陸作戦。6月5日の予定だった上陸は風雨に海が荒れ延期を余儀なくされました。しかし、潮の満ち具合が上陸に適しており、長くは待てず、天気予想士を信じて翌日6日早朝、敢行。1944年6月6日、ノルマンディーの海岸ではおよそ80kmに及び世界最大の上陸作戦が展開されたのでした。前夜、<鐘の音に胸ふたぎ色変えて涙ぐむ過ぎし日の想い出や げに我はうらぶれてここかしこ飛び散らう落ち葉かな>、詩句の最後の部分の朗読が終わるとフランス人たちは内地からレジスタンス活動を開始しました。したがって2014年は記念すべき70周年に当たります。上陸海岸では参加国元首列席の下、厳粛な記念式典が行われます。
 パリから236km、高速13号線を車で走るとカン(CAEN)の都市が見えて来ます。北周りの環状線から見えてくるカンは殆ど新しい建物ばかりです。占領していたドイツ軍を連合軍が徹底的に空爆し、上陸を援護したからです。歴史的モニュメントとしてわずかに残存しているのは英国の歴史を1066年に方向付けた征服王ウイリアム大公とその妃マチルダが永眠する2つのロマネスク聖堂だけ。さすがに英国空軍はこの聖堂破壊を意識的に避けたものと思われます。
 

写真1
 
 カンの都市を流れるオルヌ川を横切る時、70年前に敢行された世界最大の上陸作戦に想いを馳せて欲しいものです。この川こそパリを占領していた強力なドイツ軍の進行を防ぐ自然の水城(みずき)と考えられ上陸作戦の決め手になったからです(写真1)。オルヌ川はカンから10数km流れると海に至ります(写真)。その河口からコトンタン半島にかけてが有名なノルマンディー上陸作戦の海岸で、海岸はSword Beach/Juno Beach/Gold Beach/Omaha Beach/Utah Beachと命名されています。
 オルヌ河口にはウィストレアム(Ouistreham)と言うリゾートタウンがあり、70周年記念式典はこの町のSword Beachが舞台となるようです。上陸作戦に参加した若い兵士たちも生きておればもう90歳代。2014年の式典は生存者が参加できるおそらく最後の感動的大式典となることでしょう。この海岸には英国軍が陸海空の強力部隊をつぎ込んでおり、5年前のオマハビーチ式典には参列しなかったエリザベス女王も列席すると思われます。主催国のフランスにとってもSword Beachこそ唯一、フランス特攻隊が隊長キファーKifferの指揮の下に上陸した海岸ですのでこの Beachが70周年記念大式典に選ばれた理由になっているかと思います。
 その後、英国女王はカンのメモリアル博物館(tel 0231060644)を訪れるものと予想されます。このメモリアルではかつて暗闇に浮かびあがるウェディングドレスが展示されていました。何故戦争の遺品が並べられている博物館にウェディングドレスが展示されていたのでしょうか?1944年6月6日午前0時15分、英国空軍はモン・サン・ミッシェル方面のアメリカ空軍と呼応してパラシュート部隊を降下。暗闇の夜空に突然白い花々が咲き誇りました。しかし地上のドイツ軍から集中銃撃され空中で不運にも命を絶った若い兵士たちが多くいました。それらの若者の中には婚約をして出陣した者もいたわけです。ウェディングドレスはノルマンディーの夜空に散ったパラシュートの布地で作られているのです。
 一方、アメリカ空軍パラシュート部隊が降下したコトンタン半島ではパラシュートが教会の鐘楼に引っかかるというハプニングが起こりました。これは映画<The Longest Day>で最もハラハラさせる場面です。しかし、ベテランパラシューター・ジョン・スチールJohn Steeleは慌てず冷静な判断をしました。彼は死んだ振りをして助かったのです!事件が起きたサント・メール・エグリーズSainte Mere-Egliseの町を訪れますと今でも教会の鐘楼にパラシュートと人形がぶら下げられています(写真2)。
 

写真2
 
 2014年6月6日の式典はテレビで生中継されるでしょう。そして生中継の途中ではゆがめられた放牧地、破壊し尽くされた町村の荒涼たる風景や米軍沖縄上陸と同型の上陸用舟艇などがドキュメントで放映されることでしょう。
この記念すべき70周年の式典から私達が心新たにして学ぶべきもの?返答は言を待ちません。 
 
パリガイド通訳協会HP文化部
 
(追記)
 英語の命名が為されているビーチの中で中心的な役割を果たしたのはゴールドビーチかと思います。ゴールドビーチのアロマンシュARROMANCHES村に行きますと上陸の様子を十分に思い浮かべることが出来るのです。沖合に防波堤の残骸が円を描く様に浮かんでいるからです(写真3)。
 

写真3
 
 ここで作られた人口橋からは大量のジープやトラックや軍用品が運ばれました。この村には、またドイツ軍が作った「ヨーロッパの壁」が残されております。この軍事用の壁を使って芸術作品の展示が為されているのはもう2度と戦争はしてはならないという平和の願いからでしょう(写真4)。街角にあるNO MORE WARと書かれた壁画も印象的です(写真5)。
 
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写真4

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写真5
 



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