フランスで2番目に大きな都市(まち)・マルセイユは日本人にとって歴史的に懐かしい港町です。日本開国時に初めてヨーロッパを訪れた遣欧使節団は先ずマルセイユの港に到着しています。その中には福沢諭吉も入っていました。1862年4月7日、パリ・リオン駅に到着した一行は開通して間もないリボリ通りを馬車で粛々と進みパレロワイヤル広場のホテルに到着しました。フランスではヴィクトル・ユーゴーが大河小説「レ・ミゼラブル」を発表した年でした。パレロワイヤル広場に着いた一行は巨大な石造りのホテルを見上げて<これが旅籠か!>と感嘆の声を上げたと言われています。使節団の目的は日本国に有利でなかった開港・開市問題に関するヨーロッパ列強国との交渉でした。一行が宿泊したホテルは現在アンチックのデパートと事務所になっています。広場から建物を良く見ますと2階上にGrand Hotel du Louvreと刻まれた跡が今でも残っています。そして現在この建物の中にジェトロ(日本貿易振興協会)が事務所を構えているのは先達の歴史的奮闘に敬意を表しての事でしょう。
マルセイユは古代ギリシャ人達が開発した植民都市・港町でマッシリアと呼ばれていました。この古い港(Vieux Port)は今でも都市の中心で、今では所狭しとヨットが浮かんでいます。この旧港を見守るようにそびえ立つのは丘の上のノートル・ダム・ド・ラ・ガルド大聖堂で、出港する船の安全を見守り(ガルド)続けています(写真1)。 |