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■フランス・ロマネスクの旅・コンク
フランス南西アヴェロン県の谷あいの集落にあるコンクは中世そのものの村である。ドウルドウー川沿いにひたすら車を走らせていくとロマネスク様式のサントフォワ聖堂を囲むようにして、石造りの家が密集する小村にたどり着く。村の入り口にある駐車場から村に向って歩いていくとサントフォワ聖堂の二つの塔と天然スレートの屋根をもつ村の風景が霊的な静寂さとマッチして私をとらえる。何度この村を訪れたことだろう!訪れるたびに同じような感動を味わっている。
約300人位の住民が住む村であるが観光シーズンには何十倍にもふくれ上がる。ホテルやみやげ物屋が閉まってしまう冬になると旅行者もなく山郷は冬眠に入る。
しかし巡礼が栄えた頃のコンクはル・ピュイとモワサックの間のサンテイアゴデ・コンポステーラへの巡礼路の重要な中継点となり大勢の巡礼者がサンテイアゴ詣での通行証であるホタテ貝を身に付け参拝したところであった。
巡礼は星の降る夜に見つかったサンテイアゴ(聖ヤコブ、フランスではサンジャック)のお墓に詣でようとするものたちであった。
巡礼路はフランスを四本のルートで通りピレネー山脈を越えてスペインのプエンテラレイナで合流して一本となり一路サンテイアゴデコンポステーラへと向かう、その当時そこは地の果てであった。しかし巡礼が栄えると道は整備され修道院や教会、巡礼救護病院や宿場の宿が建設されていった。往来では見知らぬ人でも手厚くもてなすことが神聖なる行為とされていた。
中世の人々は生きる苦悩に満ちた現実から逃げ出すためにそして神の許しを得て天国にいきたいという願望のために巡礼をした。その巡礼路を行く誰でもがモワサックの『再臨のキリスト』に畏怖の念を抱き、コンクの『最後の審判』に恐怖した。そして長旅に疲れた後たどり着いた暗い教会にひざまずき、教会に描かれたキリスト像や刻まれた彫刻などを見て神の存在を身近に感じどんなにか勇気をとりもどしたことであろう。
聖女フォワを奉るコンクは彼女の起こす数々の奇跡によって名声を高めかつては繁栄の一途をたどった村であった。
フォワはアジャンで290年頃に生まれた。司教カプラによって洗礼をうけたが12歳のときに異教の祭儀に参加することをこばんで捕らえられ303年に鞭うたれ、火あぶりにされたあげく首を切られて殉教した。彼女の伝記は中世の頃広く仏南部に知られていた。
コンクは9世紀にタドンによって最初の修道院が建設されるがまもなく経済的な困難をきたしたため修道院は強力な聖遺物を手に入れることが必要と考えた。そこで、その頃アジャンで崇敬されている聖女フォワの存在を知り修道士アロニッドを送り込んだ。彼は身分を隠して聖職者に加わり10年かけて信用を得、ついに聖遺物の墓番人の地位を得た。ある晩、夜陰にまぎれて聖女フォワの聖遺物を盗み出し866年1月14日にコンクに帰り着き修道士たちの大歓迎をうけた。巡礼が栄えると同時に今までの教会堂では小さくなりオルドリック修道院長(1035−1065)の時代に新しい教会堂が建設された。修道院の建設が終わったのは12世紀の初めであるが、コンクは特にベゴン修道院長(1087−1107)の時代に、10世紀後半からあった貴金属、写本、彫刻の工房が発展し、旅籠や、居酒屋、みやげ物屋ができて巡礼者を迎え繁盛した。
もっとも有名な作品は10世紀につくられた聖女フォワの坐像型聖遺箱で寄進により次々と大粒のメノー、カメオ、紫水晶や宝石が加えられていった(この作品はサントフォワ聖堂の宝物殿でみることができる)
しかし14世紀に始まる百年戦争、黒死病(ペスト)の流行、16世紀の宗教戦争、そしてフランス革命と崩壊の一途をたどり山里の教会はだんだんと世間から忘れ去られてしまった。
コンクを再発見したのは1837年ロデスの視察中に立ち寄った無形文化財保護委員会会長のプロスペール・メリメである。彼はコンクを歴史的建造物に登録して修復を開始した。約70人が修復工事にたずさわった。
フランシスコ・シゴによって作られていたステンドグラスは1994年ロデス出身の画家ピエール・スラージュ作の白黒ステンドグラスに替えられ、聖堂の魅力の一つとなっている。
フランスのロマネスク様式の教会を代表するコンクは特に正面のタンパン彫刻がすばらしい。そこには世にも恐ろしい「最後の審判」が刻まれている。
中央にはマンダーラに囲まれたキリストが玉座に座し最後の審判をくだす。上にあげた右手で神の国天国、下におく左手では地獄を示している。キリストの真下には睨み合う大天使ミカエルと悪魔が天秤をもち、キリストの下す審判を待ち受けている。悪魔はあたかも次は自分の番だと言わんばかりに笑みをうかべ指を一本計りにのせている。
今わたしたちが見ると楽しくなってしまう地獄には虚栄、淫乱、放漫、怠慢、悪い修道士、悪い修道院長の他に生きたまま皮をはがされる人、一生のうち飲んだワインを吐き出さされる人など様々なシーンが描かれている。この最後の審判の上のヴシュールには石の間から恐ろしそうにそこを覗いている"好奇心"がいるのもお見逃しなく!!!
このような恐ろしい「最後の審判」をみた巡礼者たちは信仰心も新たに神に祈る思いでサンテイアゴへと向かって行ったのであろう・・・
ところで2005年11月に皆でコンクに着いたその夜、私たちはトリビューン(上階の回廊)の見学をした。淡い光に照らされた建物が間近かに迫ってくる。修道士の奏でるパイプオルガンが教会中に響きわたり私たちを夢想の世界へと導いていく。
柱頭彫刻、そこに刻まれた受胎告知、シレーヌ、グリフォン、鷲、そして天使、大きく目を見開いた天使のかわいいこと・・・
私が訪れたフランス各地の村の中でもロマネスク様式の聖堂を持つコンクは特に強く私の印象に残されている村である。
宮永 佳子
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