王の控の間
王の居室にある控の間天井中央では、方形の大きな鏡板を取り巻くのは、化粧漆喰に金箔したフーケの紋章であるつがいのリス。四隅には、F(フーケの頭文字)を組んだメダルで、これはフーケの組み合わせ文字。その下は3つの銃眼付塔を表わした楕円で、後妻マリ・マドレーヌ・ド・カスティーユの紋章。暖炉の上は、ウアス作ルイ14世の騎馬肖像。
マホガニー製本棚は、革命前夜ショワゼル-プラスランにより設置された。とびきり上質の刺繍織り張り摂政式いすがブール作の極めて珍しい大デスクを取り巻く。
床には、紺色地のサヴォヌリー絨毯。
王の寝室
それぞれの城では、城主は最も美しい居室を国王が巡幸中来訪した時のために用意してある。
ここの部屋の装飾は、ルイ14世初期の典型であり、史上最初に実現されたもの。化粧漆喰、金箔、浮彫りが、ル・ブランによって描かれた天井画を飾っている。中央に「時」と「真実」、脇にはフーケの美徳を象徴した神々ヴェルトゥムヌス(豊穣)、ジュピター、メルクリウス、マルス。
風景画をはめ込んだ、コクタン地に白め(すず)と象牙を切りばめ細工したキャビネットが、四季を象徴した逆四角錘と胸像形の金箔木製脚で支えられている。
ルイ14世と王妃の肖像画。その下に金箔木製脚に白大理石板の大テーブル。へこみには、17世紀日本製漆塗りキャビネットが2つ。床には稀少な黒地のサヴォヌリー絨毯。
1661年8月17日祭典の夜、部屋は用意されていたが王はヴォに泊まらず、王太后と共にフォンテーヌ・ブローに帰った。以来この部屋はいかなる王も迎えていない。
旧「王の小室」
王の寝室に隣あわせたこの部屋は未完成である。暖炉の上にシャルル・クワペル作ヴィラール公爵夫人の肖像。正面に、ヴォ・ル・ヴィコント友の会が取得した17世紀初めパリのタピスリー「緑の草木」
次に19世紀ヴィスコンチにより改装された浴室を通過する。
ヴィラール元帥の控えの間
この部屋は元帥の肖像画で飾られ、時の主要人物との書簡が保存されている。
ヴィラール元帥の寝室
大枠の板張りで飾られ、へこみには「プシュケーのエピソード」を刺繍した素晴らしい寝台、祈祷いす、大きな象牙の受難像。
ビュッフェの広間
この広間はビュッフェ(給仕する前に料理を置いた小室)で趣を添え、フーケの旧食堂であった。ほぼ確実に史上最初の食堂である、というのはそれ以前の時代、主人や客のいる部屋に料理が運ばれたから。
天井の9つの鏡板中央には、「豊穣を呼び戻す平和」が四大元素と四季に取り巻かれる。
地下
次に地下に降りると、広々とした部屋があり、構造は3世紀の間変えられず、1956年まで使われた。即ち食器室、使用人部屋、ワイン・カーヴ、厨房。
ここでヴァテル(料理長)が腕を振るった。
「鉄仮面」
3世紀の間、多くの歴史学者が「鉄仮面」の正体を明らかにしようと試みた。
最も多く出された説は、イギリス王の息子、イタリアのスパイ、ルイ14世の私生児、アレクサンドル・デュマに着想させたのは、ルイ14世の双子の兄弟説。
確かな事実は唯一つ、顔を見た者は殺すという看守への命令書。これは「鉄仮面」は誰か高名な人物に似ていたとの考えを裏付ける。
次にアンドレ・ル・ノートルにささげた展示場、そしてフランス式庭園の素晴らしい眺めが広がる城館南側テラスへどうぞ。
>>ヴォ・ル・ヴィコント公式サイト
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ヴィラール元帥の寝室
ビュッフェの広間
テラス
中庭
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