オー・シャンゼリゼ! 誰でも知っているこの大通りは、コンコルド広場から凱旋門まで、全長1880メートル、道幅71メートルの壮大なパースペクティブの大通りです。クリスマス近くになると(11月末から翌年1月初めまで)、プラタナスの並木がクリスマス・ツリーに変身して、突然魔法の世界に入ったようです。このロマンチックな雰囲気の通りで恋人達は新年を迎えたいと思うのだそうです。ちなみに12月31日は、シャンゼリゼは夕方から車乗り入れ禁止になり、たいへんな人出になります。シャンペングラスを片手に、カウントダウンで新年を待ち、年初め最初のキスのご挨拶は"最愛の人"にとの場面があちらこちらで見かけられます。
4月のパリマラソン、7月14日の軍隊の大行進、ツール・ド・フランスなどのイベントがあるのもこの大通りです。フランス人は、何か嬉しい事があるとこの道に繰り出してくるようです。第二次大戦のパリ解放のパレード、8年前のワールドカップ優勝の時のジダン達のパレードもここででした。
シャンゼリゼの命名は1709年で、ギリシャ、ローマ神話の楽園"エーリュシオン"(死後、神々に愛された英雄や高潔な人が再会する地)にちなんで付けられた名だそうです。
1667年、時のフランス王ルイ十四世の庭師ル・ノートルは、チュイルリー庭園からのパースペクティブを拡大すべく、"Grand Cours"と呼ばれていた場所に、現在のロン・ポワンまで並木を植えた事がシャンゼリゼの物語の始まりです。今でもその伝統が残り、ここまでは緑の多い遊歩道になっています。道路寄りの木が、日本語で"鈴掛け"と呼ばれるプラタナス、奥の木がマロニエです。その後、王室庭園監督官アンタン公爵が、当時シャイヨの丘と呼ばれていた現在のエトワール広場まで道路を延長したのです。1774年には、スフロがこの丘を5メートル削って平らにしますが、その時の土が近くに捨てられ、それが現在のバルザック通りになっていて、この通りだけは急坂になっています。
ナポレオン一世の時代には、たった六軒の館しか建っていなく、物騒な所だったそうですが、それが1828年8月28日にここがパリ市の所有になると、泉水、遊歩道、ガス灯などが整備され、第二帝政時代には、オスマン男爵により、芝生、花壇などで美しく飾られ,リッチな社交界の人達の待ち合わせ場所となるのです。カフェ・コンセール(音楽カフェ)、サーカス小屋、パノラマ館、レストランなどは、いつも富裕階級の人で賑わっていたそうです。
では、これから皆さんとご一緒に"銀ブラ"をまねて"シャンブラ"にまいりましょう。コンコルド広場から凱旋門に向かって行きます。ちなみにパリの番地の表示は、セーヌ川に近い方から始まり、右手が偶数、左手が奇数です。セーヌから遠い所は、広場から番地が始まります。
まずは、コンコルド広場の躍動的な彫刻、"マルリーの馬"(ギィヨーム・クストゥー作)をご覧下さい。これは1795年にマルニーの城館からここに移されたのですが、ルーヴル・リシュリュー館の完成と共に、オリジナルはルーヴル美術館に置かれてます。ここからは緑の多い気持ちのいい散歩道です。作家プルーストも当時流行のこのあたりを散策したようで、右手は"マルセル・プルースト遊歩道"と名付けられています。この緑樹の中、左手に見えてきますのが、有名な三ツ星レストラン"ル・ドワイアン"です。ここにはマリー・アントワネットの時代から田舎風旅籠やがあり、当時は、絞り立ての牝牛の乳を飲みに立ち寄る場所になっていたそうです。
この先左手に、1900年の万博に造られたプチ・パレ、そしてグラン・パレが見えてきます。特にプチ・パレは、4年間の修復をやっと終え、美しい姿を見せています。1900年のパリを味わっていただける美術館で、ドラクロワ、クールベ、モネ、ピサロ、レンブラント等の絵画、十八世紀の家具のコレクション、陶磁器もあり、すばらしい美術館です。常設展は無料というのもうれしいです。閉館日は月曜日です。横には、大一次大戦中の戦士の服装をした当時の宰相クレモンソーの姿です。彼はこの服装で戦地を廻り、兵士達を励ましたそうです。向かいにはド・ゴール将軍の彫刻があります。
右手には、ル・ノートルのカフェ・レストランがあり、ここでは料理教室も開いています。この先の公園では、昔ほどは賑わってはいませんが、木、土、日曜日に切手市が開かれます。
左手には、第二帝政の公共施設だった"Jardin d'Hiver"(冬の庭園)が見えます。ここは初めはパノラマ館となり、二十世紀まではスケート場でした。又、音楽家のサックスが、ここで新しく開発したサキソフォンを演奏したりと、話題の絶えない場所でした。このあたりで緑の多い地区が終わり、ロン・ポワンからがシャンゼリゼの商業地区の始まりです。
ロン・ポワンの左手が、世界中の富裕層の人がショッピングに来るモンテーニュ通りです。
車好きの方は、右手のシトロエン、左手のルノーのショー・ルームをのぞいてみてはいかがでしょう。凱旋門の近くにはプジョーもあり、他にべンツ、トヨタのショウー・ルームもあります。ちなみにシャンゼリゼは、名古屋の百メートル道路(久屋大通り)と姉妹道路にもなっています。
第二帝政時代の個人邸宅でただ一つ残るのは、25番地のパイヴァ邸だけです。ここはポーランド出身の魅力的な女性の館で、彼女はポルトガルの侯爵夫人になった後、プロイセンの伯爵夫人にもなった波瀾万丈の人生を送った女性です。この館で夜な夜な夜会が繰り広げられたそうです。
この横27番地は、PSG(パリ・サン・ジェルマン)のオフィシャル・ショップで、サッカー・グッズは勿論の事、チケットも試合15日前から購入できます。ここは日曜日もオープンしています。
ルノーのショー・ルームの少し手前は、アルザス料理のシュークルートを食べさせてくれるレストラン・アルザスです。ここでは生ガキもいただけて、年中無休、ノンストップサービスもうれしです。
右側46番地にデズニー・ショップがあり、日曜日でも開いています。この先には、ハリウッドスターの店カフェ・レストランのプラネット・ハリウッドがあります。
その真向かいに去年オープンして話題になった、ハイネッケン社のビールに捧げたコンセプト・ストア、"Culture Biere"(ビール文化)があります。館内1100平米が、一階から三階まで、バー、レストラン、ラウンジ、サロン、テラス、ブティクと分けられて、好みの場所で、ビールと共に楽しいひと時を過ごせます。
この先には、マカロンで有名なラデュレ、そしてカフェ・フーケッツと続きます。フーケッツの入り口の地面には、著名俳優の名が彫られています。セザール賞(フランス版アカデミー賞のようなもの)の時には、このあたりで有名俳優に出会うチャンスもあります。このカフェはバリエール・グループが買収し、裏にフーケッツ・ホテルを工事中で、最高級ホテルが誕生する予定ですので、又話題を呼びそうです。フーケッツと同じ建物の上階には在仏日本人会もあり、多種多様な相談から、文化教室なども開設していて、在仏日本人のための支援活動をしています。この先がルイ・ヴィトンの本店です。
ヴィトンの向かい側に有名なナイトクラブ・リドがあります。最近オーナーが替わり、バトー・パリジャンと同じ系列化に入りました。フランスで急成長の会社で、プレスティージュな会議、レセプション、スポーツイヴェントにハイレベルな食事を提供していますので、今後はリドでも美味しい食事が期待できるのではないでしょうか。今年はリド60周年記念の年に当たります。ディナー付きショーは19時からですが、ショーのみは、21時30分と23時30分からの二回です。100人ものダンサー、アーチスト達が、歌、ダンス、マジックなどで華麗なショーを繰り広げ、華やかな、忘れられないパリでの一夜になると思います。
リドの先154番地は宝飾店カルチェです。このシャンゼリゼ店は、ヨーロッパ最大なのだそうですが、売り場面積が一番大きいのはやはり日本の店だそうです。
そしてやっと凱旋門に到着です。カフェ・テラスで籐椅子に座り、行き交う人々を眺めている貴方はもうパリジャン!シャンゼリゼはそんな思いにさせてくれる、フランスが世界に誇る大通りなのです。
松下 光子
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