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■ミシュランガイド・フランス2009年



1900年パリ万博の年に創刊された<ミシュランガイド・フランス>は、その装丁が赤色の為、フランス語で<ギド・ルージュ>とも呼ばれます。
同社は、緑色の旅行案内書も出版していて、こちらの方は<ギド・ヴェール>と通称され、歴史、地理、建築様式、また故事来歴までが記されていて、大変便利なガイドブックです。

発行元はタイヤ会社で、初めは、車でフランス国内を旅行する人の為に無料配布した小冊子でした。タイヤ交換や自動車整備方法、ガソリンスタンド、修理工場、市街地図など、車に関する情報が満載されていました。
ちなみに1900年、フランス中の車総数は3000台以下だったそうです。
第二次大戦中は連合軍の必需品となり、その為1939年版は入手が困難で、コレクターにとっては希少価値があるようです。
このミシュランガイドは、1920年からは有料になり、その翌年から初めてレストランが掲載されるようになりました。
レストランに星が付くようになったのは1926年からで、当時は数件しか星付きが無く、一星、二星、三星という格付けは1936年から始まりました。

今年は<ミシュランガイド・フランス百年版>が出版された記念すべき年です。
実は、第一次、第二次世界大戦中は刊行されませんでした。ですから百冊目という訳ではないのですが、今年が初版から数えて百年目という事で、それを記念してこの春に大きなイべントが行われたのです。
百人のアーティストが選ばれ、百冊のミシュランガイドの表装を制作し(その中には日本人アーティスト田中スナオさんの作品もあります)、このアーティスト達を百人の星付きレストランのシェフが応援するという催しです。
そのヴェルニサージが3月2日オルセー美術館であり、選ばれたアーティスト達の作品と共に、アラン・デュカス、ポール・ボキューズ、ジョエル・ロビションなどフランス料理界の大御所たちが一同に集まり話題になりました。



今年のミシュランガイドには、ホテルが4429軒、レストランは3531軒が掲載され、3531軒のレストラン中、星付きが548軒です。内訳は、3星が26軒(1軒は新規で<ル・ブリストル>)、2星が73軒(新規9軒)、1星は449軒(新規63軒)です。これほど多くのレストランが新たに一つ星を獲得したことは近年にありませんでした。 その他、”希望の星”として将来有望なレストランも明記されています。

1997年からは<ビブ・グルマン>Bib Gourmand レストラン紹介も始まり、今年は527軒が選ばれました。
”ビブ”とは、タイヤをイメージして創られたミシュラン社のキャラクター、”ムシュー・ビバンダム”のことで、ビブ・グルマン・レストランにはこのマスコットキャラクターの顔が表示されています。
<ビブ・グルマン>レストランは、パリ市では35ユーロ以下、地方では29ユーロ以下で、値段の割に質の高い食事を出す店が選ばれ、今年は星付きレストランと同じ位の店の数527軒が紹介されています。不景気の昨今を反映してか、このビブ・グルマンが人気を呼んでいるようです。



星は料理そのものを評価するマークですが、フォーク、スプーンの印は、店の内装、豪華さ、サーヴィス、雰囲気などの快適さを、一つから五つの段階に分類表示されています。
ホテルの格付けも5段階になっており、家のマークの数で表わされていますが、ここにもお値うちの<ビブ・ホテル>が2003年から出てきました。そのマークはブルーで、マスコットキャラクターの顔が気持ち良さそうに目を閉じて寝ている姿で描かれています。

ミシュランの星評価には賛否両論があります。
長年調査員を務めたパスカル・レミは、退職後、内情を自著で発表して話題になりました。
2003年には、ベルナール・ロワゾーが、3星から2星への降格を事前に知らされ、その事を苦に自殺しました。
星落ちの場合は、発表前、店側に知らされるそうです。
1978年、マキシムが3星から2星への降格を打診された時には、掲載されることを拒否した為、以降この店はミシュランガイドには載らなくなりました。
1933年以降3星を維持していたツール・ダルジャンが、10年程前に星を落とし、オーナーが一時失踪という事件がありました。星降格の責任を取り辞職したシェフのマルチネスは、その後<ルレ・ルイ13>に移り、この店はすぐに2つ星を獲得しました。
今年のミシュランガイドでは、<ツール・ダルジャン>が1星、<タイヴァン>は2星、<グラン・ヴフール>も2星です。
ランスの<レ・クレイエール>は、シェフのボワイエが引退したと同時に2星に落ちています。
元調査員レミの本には、3星の価値の無くなった所でも、しがらみがあって星を維持することになっていると書かれてあり、やはり、ロワゾー氏の自殺以来、フランス料理界に貢献したオーナーシェフの店に関しては、多少の配慮がなされているようです。
最近の星付きレストランの値段の高騰ぶりにはショックを受けておりますが、そんな中、3星レストランだった<ルカ・カルトン>のシェフ、アラン・サンドランが、星を落としてもかまわないという思いで店を大改造し、レストラン名も<サンドラン>と変え、多くの人に来てもらえるようにと100ユーロメニューを出した時には嬉しくなりました。ここはずっと2星を維持しています。

一昨年には、欧米諸国以外では初めての<ミシュランガイド東京2008年>が出版され、初版12万部を4日間で完売というミシュラン社史上初の快挙に気をよくし、その為、<ミシュラン大阪版>の出版も決定になりました。

その調査方法、店の選び方にはいろいろと問題があり、話題を投げかけています。ミシュランの星を獲得するか否かで、売り上げも違ってきますし、シェフの価値、給料も決められる訳ですから、大変な影響力を持っている事実も否定できません。

一昨年、山間の人口200人にも満たないル・ピュイの近くの旅籠屋兼レストランを私が訪れた時のことです。ここでの食事が大変美味しく、サービスも心温まるものでしたので、その時ふと25年前の事を思い出しました。
それはミシュランガイドを見て行ったラギオールの町の小さなホテル・レストランでのことです。そこのオーナー夫妻が心温まる食事を出してくれまして、ディナーは言うまでもなく、朝食に出た手作りのジャム、クリーム、パンなどの美味しさに感嘆の声を上げ、フランス料理の素晴らしさを身を以て感じたものでした。そのレストランが後に3星になり、現在は見晴らしの良いラギョールの小高い丘の上にある<ミシェル・ブラ>なのです。

ル・ピュイの旅籠屋レストランで、「ここの料理にとても満足しました。数日前に立ち寄ったモンペリエの<ル・ジャルダン・デ・サンス>よりもずっと美味しかったですよ。」とお礼を言いましたら、「そう思って頂きましたなら、ミシュランのアンケート用紙に是非そのことを書いていただけたらうれしいですが、」というシェフの言葉が返ってきました。
このレストランLe Haut -Allierは、今年も一つ星で、部屋も食事も安く、私が調査員でしたらすぐ2星を上げたくなる程の所です。
ミシュランガイドブックが存在しなければ、このような田舎の素晴らしいレストランは一生知ることがなかった訳ですから、少なくともフランス版に関しては利用価値があり、地方をまわる時には大変役に立っています。

ミシェランガイド「赤」は、厚さからしてもレストラン案内書のバイブルのようなもので、興味を持っている人々にとっては、いつまで見続けていても飽きがきません。
その影響力はますます大きくなり、これからも料理界の数々のドラマを私達に提供し続けてくれるののではないでしょうか。




松下 光子
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