TOPページ  >>  歴史を作った人々  >>  グラン・パレ『マリー・アントワネット』展覧会


■グラン・パレ『マリー・アントワネット』展覧会

  フランスでの王妃マリー・アントワネットに対するイメージは“浪費家のオーストリア女”、“裏切り女”など否定的なものに対し“装飾芸術のメセナ”など様々である。日本では1970年代、池田理代子作『ベルサイユのバラ』が旋風を巻き起こしたが、これによるマリー・アントワネットのイメージは、フランスのそれとはまた違い華やかで美しい悲劇の王妃の姿であった。フランス王太子ルイ・オーギュスト(のちの16世)との政略結婚のため当時まだ14歳であったマリー・アントワネットは二度と戻って来ることのないウィーンのシェ−ンブルン宮殿を発ち、フランス宮廷に入る。そこでは、ヴェルサイユの誇り高き“花”として王妃の華やかな宮殿生活が展開する訳だがそれも束の間、ヴェルサイユ宮殿に着いて19年後にはフランス革命が勃発。地獄のどん底へと突き落とされ結果的にギロチンにかけられる何とも無惨な最期を遂げることとなる。
  グラン・パレで開催中の『マリー・アントワネット』の展覧会では、王妃の約38年間という短い生涯を振り返り、ハプスブルク家のプリンセスからブルボン王家の妃として歴史を刻んだマリー・アントワネットの波瀾万丈な人生が3部門に分かれて紹介されている。
  第一幕は、ウィーン・シェーンブルン宮殿での幼少時代からヴェルサイユ宮殿における初期の宮廷生活。家族の肖像画やマリー・アントワネットが受けた教育など、シェーンブルン宮殿での幼いマリー・アントワネットを取り囲む環境と彼女の生い立ちが観られるほか、政略結婚で結ばれた王太子ルイ・オーギュストとの結婚式の様子や王妃として果たした役割も観られる。
  第2幕は、王妃の輝かしい華やかなフランス宮廷の日々。プティ・トリアノン宮を中心としたヴェルサイユ宮殿での生活や王妃がコレクションした装飾品・調度品などが展示されている。一人でいることを常に恐れ、娯楽に没頭、ヴェルサイユ宮殿を始めとするパリ近郊の幾つかの城で限りなく贅を尽くした様子と王妃の装飾趣味を充分に鑑賞することができる。
  最後の第3幕は、退廃していく王妃マリー・アントワネット。王妃の不品行や浪費癖は国民から大きな反感を買うことになる。それが一つの引き金となりフランス革命への道へと突進。囚われの身となった王妃の囚人生活は、豪華華麗な宮殿生活のイメージとは結び付け難い悲惨なのもであった。輝かしい栄光の頂点から断頭台までの道のりは世界を誇る一国の王妃としてはあまりにもはかない最後であった。 2005年、ソフィア・コッポラ監督『マリー・アントワネット』の上映化により、スター的存在となったフランス王妃。2005年〜2006年にかけては、ボルドー市立装飾美術館でも、王妃の装飾趣味にスポットを当てヴェルサイユ宮殿でのコレクションが展示されたが、今回のグラン・パレでの展覧会は規模を拡大。フランス国内の城や美術館を始め、世界各地(プライベートコレクション含む)から集めた肖像画、装飾品、美術品、風刺画、記録資料など、貴重な作品約350点を展示。マリー・アントワネットの人物像、オーストリアにおける教育、王妃としての役割、数々の出来事そして芸術との関わりなど、全般的な内容が巧みに紹介されている。
  フランス革命の時期から19世紀の間中、フランス国内では悪評高かったマリー・アントワネットだが、20世紀には入ってからはツワイクらの専門家の研究により王妃に対するイメージも少しずつ変わってきている。この大展覧会は、それを裏付けるものと言えるだろう。フランス王侯貴族の伝統的なしきたりに耐え切れず、一人の女性としての自由を求め、大胆にも宮廷の様々なマナーに反する行動を次々と起こしたマリー・アントワネットは、思い返せば、当時の格式高いフランス宮廷の前衛的な存在だったのかもしれない。

Exposition : “ Marie-Antoinette ”
Galeries Nationales du Grand Palais
3 Avenue du Général Eisenhower, 75008 PARIS, 入口 Square Jean-Perrin
2008年6月30日(月)まで
開館日:水〜月(10 :00−22 :00、但し木は20 :00迄)
休館日:火曜日
一般料金 : 10ユーロ
メトロ:(1)(13) Champs-Elysées-Clémenceau


平良 明子
>>プロフィール




本サイトはフランス日本語ガイド通訳協会(AGIJ)の公式サイトです。
紹介頂く分にはリンクフリーですが、個々の記事、写真等の無断転載はお断りします。