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■光と色彩の戯れる都市・バルセロナ


 スペイン第2の都市・バルセロナは地中海の光を浴びて伸び伸びと育っているという印象を与える都市です。スペインというよりカタルニアと言われることを好むバルセロナ。その中心はカタロニア広場です。そこから海の方へ、ラ・ランブラス大通りが始まります。バルセロナに着きましたらまずこの通りをブラブラと歩くことです。すると直ぐにこの町の魅力に取りつかれることでしょう。どこの都市でも通りの真ん中は車道ですがラ・ランブラスは人の道が真ん中で幅広く逆に車道は狭く両側に追いやられています。ですからプラタナスの並木道を歩くと人が車から都市を奪い返したような快感があります。しかも都市の大通りには普通、世界中どこにでも見られるファッショナブルな有名店が並ぶものですがラ・ランブラスはバルセロナ市民たちの生活を感じさせてくれる大通りです。
世界中のどこの都市に行っても大通りは活気があり賑やかです、しかし大通りに花屋さんが並ぶような風景は見られません。ラ・ランブラスには花屋さんが並んでいるのです(写真1)そして南国の光を浴びた強い色彩の花々は歩く人たちの心を踊らせてくれます。近くにボケリアと呼ばれる食料品市場があるので花市は光のあたる大通りでということになったのでしょうか。そのボケリア市場の中に入るとフルーツ・野菜・魚貝類・肉類(特にハム)の豊かさに驚かされますが、それ以上に驚くのは赤を中心にしたカラフルな色彩の豊かさです。特にスペインの誇る唐辛子の店を見るとその感は強くなります。心は踊り熱くなって行くようです。しかもところどころにカウンター・バル(bar飲み屋)があり新鮮なものをその場で味わえるのです。バカリアには楽しい雰囲気が溢れています。
ラ・ランブラスはおよそ1.5kmの長さでやや下り坂、海まで出ると60mの塔がそびえています。塔の上にはコロンブスの巨大な像が立ち異常に長く造られた指が大西洋を指さしています。邦人でも知らない人はいないこの人物こそヨーロッパ人たちを地中海から外へと向かわせて新大陸を紹介し同時に16世紀のスペインを<太陽の沈まない帝国>へと導いた英雄になります。また、コロンブスの塔に至る間にもラ・ランブラスにはモデルニスムと呼ばれるファンタスチックな建築が並び歩行者の眼を楽しませています。機能的かつ合理的な、つまり味気ない現代建築を見ている私達は遊び心が溢れているモデルニスム建物を見て心和やかになるはずです。と言うのもモデルニスムが自然をモチーフにしているからです。その極め付きは建築家ガウディ(1852−1926)のサグラダ・ファミリア大聖堂でしょう。
遊び心と言えばバルセロナでは他にも色んなところで遊戯心を発見できます。例えば、地中海で捕れるイカ、日本なら捨てて来たそのイカの墨を料理に使うという発想です。それはイカスミで作るパエラのことです。イカスミパエラは、ご飯は白い物、白いものがご飯と神代から信じて来た日本人の価値観を完璧に否定しています。ご飯が黒いなんて!この究極の唖然さは大和人の食の価値観の見直しを迫るぐらいです。
 

(写真1 )
 
 日本人がバルセロナを訪れるのは世界的に知られるサグラダ・ファミリアがあるからですが、最近の若い人たちにとってのバルセロナとはバルサの名で知られるサッカーチームのようです。サッカーはヨーロッパで一番人気のあるスポーツですがバルサは常にトップクラスのチームでその華麗な試合は世界の人達を魅了しています。これもバルセロナ人に遊ぶ心が根付いているからではないでしょうか。
最近、ファッション世界でスペインモードが大活躍しています。ファッションもまた勤勉だけが頭を占領している人たちにとっては創造不可能なものではないでしょうか。遊び心が必要なのです。つまり既成のものを壊すか全く別の角度から見る姿勢です。クラシックなパリのモードに対してスペインモードはかなり大胆で特に色彩が際立っています。地味な色彩を好む私達がスペインモードで日本の街を歩けば通行人達は必ず振り向くに違いありません。このようなモードのお店がバルセロナには沢山あり、ファッションもまた街を彩っています。特に、カタルニア広場から山手の方に向かって出ているグラシア大通りを歩きますとバルセロナのトップモードを見られます。同時にこの通りにはスペインが最も誇りにしている建築家ガウディ作品の館、カサ・バトリョとカサ・ミラがあるので散策は更に楽しくなって行きます。
また遊び心が無いと出来ないのが絵を描くことです。遊戯心無くして想像性は生まれずそして想像力は芸術を創造します。バルセロナは驚くべきことに20世紀最大の巨匠・ピカソ、ミロ、ダリ、それぞれの美術館を有しています。3人の巨匠たちがいずれもバルセロナと深い関係を持っているからです。
ピカソは1881年にアンダルシアのマラガで生まれましたが14歳でバルセロナの美術学校に入学しています。1900年のパリ万博ではすでにスペインを代表する画家として自らの展示作品を見に行っており、これをきっかけにパリとの関係を深めモンマルトルに住みこみながら<青の時代>、<バラの時代>を経て絵画「アヴィニオンの娘たち」で<立体主義>という芸術史を飾る作品を描き上げます。アヴィニオンはフランス南仏の町ですが、実はバルセロナに娼婦たちがいた同名の通りがあり、作品名はバルセロナのこの通りから取ったものです。青年期にピカソが通って芸術的インスピレーションを得た溜まり場バル・レストラン<クワトロ・ガッツ・4匹の猫>に入りますとピカソの青年期を少しは想像できるでしょう。彼はしばらくバルセロナとパリを行ったり来たりした時代を持っています。
一方、ミロは全くのバルセロナ人です。彼は1893年にバルセロナに生まれ19歳でバルセロナ美術学校に入り26歳でパリに行きシュールレアリスム芸術運動と出会い新分野を開拓します。そして既成の芸術を壊すような作品を意識的にしかし子供心を持って次々に創造して行くことになります。ミロは描くこと自体からも脱出して行くような奇抜な作品も残しました。バルセロナ出身ですので美術館は場所の良いモンジュイックの丘にあり、先生に引率された子供たちの訪問が多く、子供たちは遊び心に溢れたミロの作品の前で眼を輝かせています。いつか、これらの子供たちの中から第2のミロも生まれそうな、そんな雰囲気を与えるミロ美術館です。
一番後輩のダリは1904年カタローニャのフィゲーラスで生まれ18歳でマドリッドの美術学校に入学、1927年パリに出て活躍するようになります。当時パリは<狂喜の時代>と言われ今までの芸術的観念を破壊するような絵画活動が盛んでした。初めての世界規模の大戦で900万人の兵士を亡くしたヨーロッパは人類の存在が根底から問われることになった地獄的戦争からようやく解放されたばかしでした。ダリはこのような状況の中でシュールレアリスムという人間の意識の裏に潜んでいるものを表(シュールSUR)に描き上げる芸術の旗頭になって行きます。ダリの絵画にも想像溢れる戯れの心があり鑑賞者を異次元の世界に誘います。1989年ダリは故郷のフィゲーラスで亡くなります。この町はバルセロナと同じように地中海に面しピレネーに近く当然ダリ美術館を所有しています。
 

(写真2 )


(写真3 )


(写真4)
 
ピカソ、ミロ、ダリ、いずれも伝統的絵画を破壊して新しい芸術を示した巨匠たちですが彼らに先んじて破目を外した建築家がバルセロナにはいます。そしてバルセロナに来ていの一番に見なければならないのはこの建築家が残したものなのです。それはガウディのサグラダ・ファミリアです(写真2)。この<聖家族大聖堂>を見た時、人は誰でも唖然としてただただそれを眺め続け、また人によっては聖堂の周りを退屈せずに一回りも二回りもすることでしょう。人は先ずサグラダ・ファミリアの神がかり的な、あるいは狂人的と言ってもいい姿に眼を見張るに違いありません。その異容な形の鐘楼はにょきにょきとして聖堂の大きさに全く比例せずに聳え立っています。それはまるで土筆(つくし)のようでもあり、アスパラのようでもあり、またカタツムリの角のようでもあります。あるいは、はたまたヤシの木の様にも見えるのです。特にキリスト生誕の場面を表す東側の入り口はただれ落ちそうな自然の豊満さを表しているようで鑑賞者を別な世界へと誘います。そこには私たちが親しんでいる自然があふれ、ところどころには色彩が使われていて私達が想像し得なかった視界で表現されています。加筆しますと、東側入口には公園があり、ここでは緑色のカナリアがさえずり飛び交い巣さえ作っています。都市にカナリアが飛び交っているのです。
人技とは思えないサグラダ・ファミリアの建築は中に入っても変わりません。まず窓に射す光の色彩が異常に美しい。光は色彩ガラスを通して訪問者を別な次元へと誘います。その鮮やかな色彩は訪問者の体の肉を抜き浮上させるような印象を与えます(写真3)。そして訪問者の視線はおのずと天井へと吸い込まれて行きます。中世時代から造られてきたゴシック支柱はガウディの天才により新しい支柱へと創造されています。まさしくそれは森の大木が天を支え、天から<救い主>が降りてくることを告げているようです(写真4)。
1852年にカタローニャ州で生まれたガウディは21歳から4年間バルセロナで建築を学びました。卒業の時校長は「この学生は天才か狂人か分からない。時代が明らかにしてくれるだろう。」と言ったそうです。なるほど、サグラダ・ファミリアは天才あるいは狂人,どちらの方が創ったのか分からない印象を普通人には与えるかと思います。しかもガウディが1926年に没して90年経った今でもなおカテドラルは建築中なのです。現実の世界とは違った感覚を持っていたガウディは道路を歩く時も瞑想していたようで74歳の時、路面電車にひかれて亡くなります。身なりが浮浪者の様であったため手当てがおろそかにされたと言われています。日常生活でも彼は現実離れしていたのです。
ガウディ、ピカソ、ミロ、ダリ、ファッション、サッカー。バルセロナにはワールドワイドで超トップ級のものが光と色彩の戯れる中に出揃っています。
 


パリ・ガイド通訳協会HP文化部




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