TOPページ  >>  芸術家ゆかりの地を訪れる  >>  ジョルジュ・サンドとコレット


■マチス美術館を訪ねて:ル・カトーカンブレジー

  美研社とガイト協会共同主催で1月25日マチス生誕の町ル・カトーカンブレジー(Le Cateau-Cambresis)とマチス美術館を見学、参加者は18名でした。

  かつて繊維業と畜産市場として栄えたル・カトー(Le Cateau)は今や寂れた北の町・・・レンガ造りの労働者街の中心にこの町出身の近代画家マチスの生家と見なされる場所が在る。(3−5 place du Capitaine Vignol)母方の祖父母の家で生まれ、生後9日間過ごしただけで、近隣のボアーン(Bohain-en-Vermandois)村で育った。

  法学を修めた後、ふとした切っ掛けで芸術家の道を歩み始め、地道に自身の絵画の境地を開き近代絵画の大家と成る・・・

  この美術館では各時代のマチスの進歩を追って見定める事が出来る。特に1940年代、大病を患い、死期の近い事を悟った画家は以降、残る余生を何にとらわれる事も無く、自由に自身の画境を深めていった。

  北の透明な光の中で育ち、眩い南の光を知り、色彩と空間を魔術のように操ってゆく天才に感動!!1952年亡くなる2年前、画家はこの町に自身の美術館とステンドグラスを寄贈した。




マチス美術館正面玄関


市役所、この2階に最初はマチス美術館が置かれていた


生家があった所は今はガレージになっている

  私達マチス・ファンはこのフランス第3のマチスの作品数を誇る美術館を見学した。(油彩24点、その他デッサンと彫刻数点。)この美術館はカンブレ(Cambrai)の司教の別荘、フェヌロン館内にあり18世紀の建物が1999年から2002年にかけて改造され、マチスのみならず、この町出身の幾何学抽象画家、Auguste Herbinの作品、また美術出版者Teriadeのマチス、シャガール、ピカソ、ミロ、等の版画集、本も所蔵する。

パリからのアクセス:
高速道路A1+A2 (170km),Cambraiから国道43で22km。
片道2時間半〜3時間
※公共の交通機関でのアクセスはやや不便。
美術館の所在地:
Musee departemental Palais Fenelon 59360 Le Cateau-Cambresis
Tel : 0327846450 / Fax : 0327846454 museematisse@cg59.fr
開館時間 / 入館料:  9月〜5月:10時〜12時半、14時〜18時
6月〜8月:10時〜18時
休館:毎火曜日、1月1日、9月22日、11月1日、12月25日 。
入館料:普通料金、4.5 ユーロ、割引料金、3ユーロ
オーディオガイドを含む。


徳本 真知子
>>プロフィール


画家自ら美術館へ寄贈した作品タピスリー


オダリスクのデッサン



マチス美術館を訪ねて・ ル・カトー・カンブレジー

  1月25日(日)午前8時過ぎ18名の参加者で出発、ノンストップで走って10時40分近くに美術館前に到着、ガイドを待たせていたので早速見学に、10時50分位から12時20分までガイドの案内を受けその後20分位自由見学、もの足りないので午後もう一度戻りました。 生まれ故郷のル・カトー・カンブレジーにマチスから82点の自作の寄贈があり1952年11月8日に市役所の一部がマチス美術館として開館します。その後もまた寄贈があって作品数は170点になり1982年に現在の建物<PALAIS FENELON>に移り後に建物の改装が国や地方などからの予算でおこなわれ2002年11月8日新装開館となりました。美術館は3つに分かれています。

  マチスの他にル・カトー生まれの抽象画家オーギュスト・エルバンの寄贈作品展示室と出版業者テリアドのコレクション(マチスの<ジャズ>を始めピカソ、ルオー、ミロなどのイラスト入りの本を数々出版、丁度シャガールのイラスト入り聖書を展示しておりました) 展示室よりなります。マチスの初期の作品から切り絵のものまで各時期のものが少しずつあって、彫刻は女性の後姿の4部作のオリジナルを見る事ができ、最後にデッサンの展示室とヴァンスの礼拝堂の関係作品という順です。
  マチスの両親の家がそれぞれ織物と関係があり、マチスの育ったボエンの町は織物の町なので彼の絵に織物が頻繁にモチーフとして使われるのも納得出来るし、バイオリンを子どもの頃に習っているので、音楽もまた彼の絵から切り離されないものとなっているのでしょう。
  カンタン・ラ・ツールの学校でデッサンの勉強をしただけあってデッサン力はあります。それでもボザールの試験には落ちてますが…

  昼食(安くておいしかったです)後ガイドと少し町をあるきましたがマチスの生家は残っていず(場所は教えてもらいました)、叔父さんの家は残っていますがもうボロボロ、(食堂にかけられていたマチスの作品はマチス美術館に−−シャルダンの< LE BUFFET > の模写)
  あと教会と市役所位ですか。マチスのステンドグラス < LES ABEILLES > のある学校は見に行ってません、日曜日で学校も閉まっていますし。夕方5時10分頃出発して夜8時20分頃パリ着でした。おみやげにこの地方でとれる ardoiseの一種 アンジェー産のものより明るいブルーグレーの石の小片を持ち帰りましたマチス美術館に使用されている石です。


村田 ちえ子
>>プロフィール





本サイトはフランス日本語ガイド通訳協会(AGIJ)の公式サイトです。
紹介頂く分にはリンクフリーですが、個々の記事、写真等の無断転載はお断りします。