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■バカラ美術館


▲バカラ美術館

  新しいバカラ美術館は、以前在った北駅の下町の雰囲気とは全く違い、パリでも高級住宅地と言われる16区に2003年から引っ越してきました。それも瀟酒な元ノアイユ子爵夫人の邸宅を大改造して、ここ本社ビルの一階にブティック、二階に、レストラン・クリスタル・ルームとギャラリー・ミュージアムを設置しました。この夢のようなガラスの御殿を造り上げたのが、ミッテラン大統領時代のエリゼ宮の装飾担当をしたフィリップ・スタルクです。

  合衆国広場にあるこの館は、1895年に建てられ、マリー・ロール・ド・ノアイユ子爵夫人(1902?1971)が夫シャルル・ノアイユ子爵と共に1920年代から住み始めた邸宅です。子爵夫人は、当時のパリの知識人階級の保護者を自認し、アーチスト達に囲まれて、この館で夜な夜な夜会を催していました。初期の画家ダリを支えたのも彼女です。モンドリアン、ジャン・コクトー、マン・レイなどにも資金援助をしていますし、この館で催されるシュルレアリストのパーティーには、ピカソ、アンドレ・ブルトン、ココ・シャネルなどの姿も在りました。

  この二十世紀の<不思議の館>を、二十一世紀のアーチスト、スタルクが、再び豪華絢爛な<ガラスの不思議の館>に変身させたのです。

  入口の両脇には、ガラスの暖炉の中に赤々と火が燃え上がり、正面には豪華なシャンデリアが来客を迎え、もう既に私たちは夢の中の世界に入り込んだようです。
  館の中に入ると、二つの大壺に女性の顔が映り、私たちに何か話しかけています。まるでスター・ウォーズの世界に入ったようです!この壷は、二十世紀初エチオピアの宮殿用に造られたのと同じ物です。
  近くにある"ペルシャ皇帝の大燭台"は、1867年に制作されました。
  突き当たりの壁には、バカラの象徴でもあるベストセラーのグラス、<アルクール>の特殊写真が飾られ、階段登り口には、まるで<不思議の国のアリス>に出てくるような巨大な白いクリスタルの椅子!まるで、昔のようにシュルレアリスト達がつぎつぎと集い、豪華な夜会が始まるような予感がします。

  すでにスタルクの演出にはビックリしっぱなしなのですが、階段を登る時に、大シャンデリアを見て、又眼が回りそうです。本当にこのシャンデリアは電気仕掛けで回っているのです。
  この大シャンデリアは、1855年の万博にバカラ社が出品し、それと同じ物をインドのマハラジャが注文したのです。ところが、インドの宮殿の天井が、その重さに耐えきれず崩れ落ちてしまいました。でもどうしてもこのシャンデリアを飾りたく思ったマハラジャは、その後同じ物を再注文し、新たにそのための宮殿を造らせ、一番重たい巨象を屋根の上にのせて、新宮殿の強度を試したそうです。

それでは、ギャラリー・ミュゼに入ってみましょう。
まずは舞踏会の間から,,。

【舞踏会の間】(Salle de Bal)
  <栄光に達する為の高貴な行い>と題する1730年頃のナポリの館を飾った天井の寓意画を見ながら、ノアイユ子爵夫人を囲む、外交官、俳優、画家、音楽家、作家などが集った当時のサロンを思い浮かべて下さい。
  ここは、バカラのヒット作品の一つでもある<ゼニット>のシャンデリアと、床の小さなライト以外はすべて子爵夫人の時代のままで、壁にかかっている二つの画面でバカラ工場での制作風景を映像で見る事が出来ます。


▲舞踏会の間

【大きさに魅せられて】(La Folie des Grandeurs)の間
  ここには、バカラ社の大規模な作品が展示されています。<ニコライ二世の大燭台>は、1896年、ロシア皇帝が新婚旅行でパリに来た時に注文した、1878年の万博で大賞を取った作品です。皇帝は、ロシアの近代化をアッピールする為に、この燭台にロウソクではなく、79個のライトを付けさせました。
  当時バカラ社には、ロシア宮廷専用の窯が在り、各地に点在する皇帝の宮殿を飾る為にフル回転していたそうです。大燭台は12基注文を受けたのですが、ロシア革命の為、2基が納品されずバカラ社に残りました。
  <フェリエール家具調度品>と呼ばれる軽やかな椅子、丸テーブルは、1883年の作品です。この調度品は、1886年にインドバカラ社が設置されると、象の背に乗せてマハラジャの各宮殿に運ばれた物です。


▲大燭台

【錬金術】(Alchimie)の間
  この部屋に入ると、まず天井の絵に驚かされます。ジェラール・ガルーストの寓意画で、クリスタルガラスが生まれる魔術を描いています。黒色で砂を、緑で水を、青で空気を、そして赤で火を現し、本当に連金術師が仕事をしているようです。
  現在でもバカラ社は、25人もの"フランス最高の職人賞"を持つ技術者を抱えています。ここはフランスガラス職人達の見事な腕前が見られる部屋です。
  ナトワールの絵にヒントを得て作られた一対の花瓶のグラヴュール(彫)の繊細さ、1845年から1870年の間にしか作られなかったと言われる、オパーリンクリスタルの壺のラインの美しさ、ダイヤモンドカット、リッチカット、エナメル彩色、金彩色など、どれも見事な作品ばかりです。

【透明の向こうに】(au de la transparence)の間
  天井には、加工されていない自然のままの大きなクリスタルの岩石が描かれ、この部屋は4つのテーマに分けられています。

  『軽やかさ、洗練、女性らしさ』がテーマのケースの中には、脚の中が空洞になった、とても軽やかなグラス、大変高度なテクニックで作られた宙吹きクリスタルの"丸型砂糖入れ"、各種香水瓶などと共に、万国博でたくさんの賞を取った作品群が展示されています。

  『偉大なクリエーター達』のコーナーでは、特に、バカラ社の発展に多大な貢献をした、ジョージ・シュバリエの作品を多く見る事が出来ます。彼は、1920年代から1976年迄バカラ社でデザイン、制作部門を担当し、初めてバカラの作品に動物を登場させ、アール・デコに影響を与え、バカラ社にモダンな息吹を吹き込んだ偉大なアーチストです。
  彼の作品の中でも、船旅用に作られた台座付きのグラスは、イギリスの王太子も特注していて、次のコーナーでも見る事が出来ます。

  『華麗なる特注品』と名ずけられたコーナーでは、日本の天皇家が1909年に注文した<ボーヴェ>、そして伝説の<アルクール>のグラスを初め、世界中の王侯貴族の特注品が展示されています。
  バカラの最初の著名な顧客はフランス王ルイ十八世でした。 テーブル・アートの世界では、ナポレオンの遠征以来、ロシア風が主流になりました。それ以前は、グラスは一つだけが各自のテーブルに出され、他のグラスは準備テーブルのアイス入りの大器の中でその出番を待つだけでしたが、王政復古あたりから、たくさんのグラスを一同にテーブルに並べるようになったのです。
  ルイ十八世の特注セットには、水用、赤、白ワイン用、シャンパン用など、用途によってサイズが違うグラスが並んでいます。
  現在、各国の元首が、外国訪問の時、国を代表して自国製品を売り込んでいますが、バカラ社の製品も、国王を初め、世界中の有名人が宣伝してくれているようです。


▲天皇家のグラス

  ベスト・セラーの<アルクール>は、既に1830年のカタログに載っている作品ですが、重厚感のある、そのピュアなカットが好まれ、1841年には、フランス王が注文したのを始め、ローマ法王、カンボジア王、ブラジル大統領、アラブの王達などが特注しているまさにバカラの顔と言える作品です。

  最後の『遠い国の物語』のコーナーには、1868年以来、特に装飾芸術部門に多大な影響を与えた、ジャポニズム的作品が多く展示されています。日本文化の影響下、タイユ・グラヴュールという深彫りの新しい技法が生み出され<金魚>、<蝶々>、<竹>などの日本的な作品が多く生まれています。
  <トルコ風のモカ・コーヒーセット>などを見ていると、自分もこんなカップでコーヒーを飲んでみたいような気分になります。
  遠い国の人々が、昔からバカラの世界に魅せられたように、今日でも、この壊れそうな、透明な、夢の世界に私達は魅了されてしまいます。

  これでスタルクの<ガラスの不思議の館>の見学は終わりかけていますが、この二階にあるレストラン、クリスタル・ルームで食事が出来たら、この旅の締めくくりとしては最高です。でも、なかなか予約は取れないかもしれません。
  最後に、同二階にある化粧室(トイレ)にも是非いらしてみて下さい。

  スタルクによって初めて作られた、黒色の<ゼニット>シリーズのシャンデリアもお見逃し無いように。ミュゼの続きのような一階のブティクに飾られています。


▲バカラのトイレ

ギャラリー・ミュゼ・バカラ
住所: 11, place des Etats-Unis 75116 Paris
休館日 火曜・日曜・祝日


松下 光子
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