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■ルーブル・知られざる絵画
<四人の教会博士たちと四人の福音書家のシンボル>
ピエール・フランチェスコ・サッチ 1485-1528


  この作品の前を通るたびに私の視線はテーブルの上に細密に描かれた白い手袋に引きつけられる。展示の位置が高く、ちょうど目線がこの手袋と一直線につながるのだ。そして作者サッチは、シュールレアリズムのダリが描いたように、形而上的な意味をこの奇妙な手袋にこめたのだろうかという思いにとらわれる。これが私がこの絵に興味を持った動機であった。その謎を解くために、登場人物や隠されているシンボルを読み解いたり、豪華な衣装や小道具などに感嘆の声をあげてみたり、私の視線はこの絵から長いあいだ離れることがなかった。

  絵の題名にある教会博士とは、バリエーションに富んだカトリック教の聖人たちのなかで、キリスト教の理論化に優れ列聖されるという,頭脳派だけが戴くことのできるタイトルである。しかも絵のなかの四聖人は、初期キリスト教の時代にキリスト教を広め邪教と戦ったパイオニアたちであり、彼らの偉業がなかったならば後のスコラ哲学もゴシック建設も生まれなかったと言われている。

  四人のなかでも教会ヒエラルキーの最高峰は、左から二番目の金銀の三重冠を戴くグレゴリウス大法王(540-604)である。このタイプの冠はアヴィニヨン法王庁時代のファッションだそうだが、胸に着けている宝石とともにまるでカルティエ本店のショーウィンドーでも覗いてるような錯覚を覚える。法王の位階は神と同等であり、従って誰からも裁かれることはないなどと豪語する法王も出てくるなかで、グレゴリウスはローマの最高施政官の息子でありながら、全財産を投げうって修道院を築き一生を神の僕としてささげた優徳の人であった。法王の左側にはインスピレーションを吹き込もうとする精霊の鳩がいる。足元には福音書家のルカを象徴する牛が隠されている。



  グレゴリウス大法王の右手には、法王直属の枢機卿の赤い帽子と僧衣の姿で聖ヒエロニムス(340-420)が登場している。この絵のなかで唯一人目を閉じずに、福音書家マタイのシンボルである天使の方向を見ながら深い静寂の中にいる。華やかな社交界に別れを告げ砂漠に隠棲したヒエロニムスは、傷ついたライオンの棘を取ってやりライオンと会話を交わしたといわれている。

  三角の司教冠を戴き宝石を縫いつけた手袋をはめ、本の上に止まるヨハネのシンボルである鷲と対話しているのは聖アウグスチヌス(354-436)である。ローマ帝国下のカルタゴに生を受け、若き日には二元論のマニ教に帰依していたアウグスチヌスの女性関係はかなり複雑だった。波乱万丈の前半生の末に右端に座すアンブロシウスの説教を聞きキリスト教に改宗した。[告白 ] [三位一体論] [神の国]などの著作を残し19世紀のシャトーブリアンや実存主義のカミュにも影響をあたえた。

  これから著すべき本のためだろうか、ペン作りに我を忘れているのはミラノ司教の聖アンブロシウス(339-397)である。私が問題にした白い手袋は、手仕事のために邪魔な手袋をはずして、テーブルにちょこんと置いたというシチュエーションに過ぎなかったようである。手の下に隠されている小さな鞭は邪教や蛮族を追い払ったからであり、マルコを象徴する羽を生やしたライオンが足元に鎮座して、ご主人の仕事の成功を祈るかのようにしっかりと本を抱いている。

  ルネッサンス様式の装飾をほどこした室内で、大理石のテーブルを囲む博士たちのまわりにはキリスト教的な三つの世界が表現されている。天井の丸い窓枠の中には天空が垣間見える。正面には日常の村の風景が広がり塀の前には小さな人の姿も見える。そして両側には四人の思索の道程を象徴するかのように太い木々が暗いシルエットで描かれ、同時にこの絵の中の遠近法を完結する重要な役目を果たしている。

  画の下のカートレッジに [パヴィアのサッチが1516年に描いた]と記載されている。マニアックな後期ゴシックと知性的なルネッサンスの両方をあわせ持つこの宗教画は、ジェノヴァのサン・ジョヴァンニ教会の三連祭壇画の中央を飾ったものであった。ルーブル美術館の展示場所は、ダヴィンチの[岩窟の聖母]の真向かいの壁面に相当する。


SHIMADA-TAERON MASAKO
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