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■ノルマンディーの忘れられた美しい村 リヨン・ラ・フォレ Lyons-la-Fôret


花咲く美しい村リヨン・ラ・フォレは、パリから北西へ約100km、ルーアンの東35km程の所で、ヨーロッパ有数のブナの木の森<リオンの森>のほぼ真ん中にあります。10613ヘクタールのこの森は、フォンテンブローやコンピエーニュの森のように深くなく、所々に開拓された畑、牧場、村などが点在し、その中で一番大きな村が人口約800人のリヨン・ラ・フォレです。

<フランスで最も美しい村>に登録され、 <花咲く町、村>協会からは、最高の4花マークをもらっている、ピンク色のレンガ、木組みの古い家並みが続くノルマンディーらしい美しい村です。


歴史も古く、ガリア・ローマ時代には、ルーアンからボーヴェに行く街道が通っていたに違いなく、近辺からは、3世紀まで使用されていたと思われる劇場跡、瓦、棺、円柱、皇帝ネロやトライアヌス帝時代の貨幣などが発見されています。

初代ノルマンディー公爵(バイキングの首領ロロン)の息子が、首都ルーアンからもそう遠くないこの地を気に入り、リウール川の畔に館を建てたのが936年です。その後ノルマンディー公爵ギヨームは、イギリス王ウィリアム征服王と呼ばれるようになる前、1060年頃にこの地に城を築かせ、その息子へンリ一世が完成させました。彼はこの城で”やつめうなぎ”を食して亡くなったと言われています。この城の主塔の土台が近年発掘されたばかりです。

カぺー朝の王族達もリヨンの森を狩り場として大変気に入り、とくに聖ルイ王、フイリップ四世はたびたびこの村に逗留しました。百年戦争の時には再びイギリス王の所領になりますが、1450年には完全にフランス領となり、フランソワ一世がヌムール公にこの地を与える時まで王の直轄領でした。

村役場は12世紀の城跡の上に建ち、一階が観光局、かつての牢獄跡なども残っていて、現在の外観及び2階は18世紀当時のままです。フランス革命時にバスチーユ牢獄跡の石を使ってミニチュア・バスチーユが造られ、各地の役場に送られたそうですが、この村役場にもあります。旧体制時代には軍が駐屯し、大勢の役人やブルジュアがいて、人口も現在の2倍以上もあり、とても繁栄していた町でした。


村の中心は18世紀に造られた市場レ・アールです。今でも木曜日にはここに市がたちます。第2次大戦前には映画監督のジャン・ルノワールが、1990年にはクロード・シャブロールが監督した2作の<ボヴァリー夫人>の撮影が行われた場所でもあります。

広場から北に坂を降りて行くと右手に立派な館が見えてきます。作曲家モーリス・ラヴェルが数年間滞在した家です。


リウール川の方に向かって行くと美しい木組みの家並が続きます。ここは<3つの水車>と呼ばれ、14世紀からフランス大革命まで王の所領でした。ここの水力発電で、第二次大戦直後までの村の電気がまかなわれていたそうです。

村はずれには12世紀に建造され、15、16世紀に修復されたたサン・ドニ教会があります。この辺りはガリア・ローマ時代の集落があった所で、昔の神殿跡に教会が建てられたと思われます。

村の周辺には17世紀初頭に3つもの修道院が造られ、かつてのこの村の豊かさを物語っています。革命以降は衰退してしまいましたが、ブナの森の中にひっそりと息づく歴史ある魅力的な村です。



[アクセス]
電車:サン・ラザール駅からルーアン駅まで約1時間。
ルーアンよりバスで約1時間、タクシーで約30分
車:パリからN14 EcouisでD2へ リヨン・ラ・フォレまで約1時間40分


松下 光子
>>プロフィール

この記事は日本人会新聞の連載「旅三昧・奥深いフランスFRANCE PROFONDE」に記載されたものにイメージを足したものです。
日本人会のホームページ:http://www.nihonjinkai.fr



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