|

TOPページ >> フランスの地方・豊かなる大地へ >> バスク地方 Le Pays Basque (Euskal Herria)
■バスク地方 Le Pays Basque (Euskal Herria)
歴史
バスク地方では8万年の歴史を有することが、アロンツ、(Arrauntz) ビアリッツ、(Biarritz)で生活道具が発掘されることにより証明されている。9千年前の遺跡も数多く(ドルメン、埋葬遺跡、青銅製器具、等が発掘され解かっている。
古代のユースヤ山要塞遺跡
紀元前200年 ローマ人による道路、この時代に出来た町がバイヨヌ、ソールド、その後なヴァレ、アラヴァ平野、その為に先住民は山岳地域に移住していくことになる。
中世、5世紀以後多くの移民族の襲撃(ヴィジゴット族、フン族、最後にイスラム教徒)778年カルル大帝の率いる強力な軍隊によるロンスヴォ(Roncevaux)の戦い。
801年 皇太子家 ヴァスコンス(Vascons)サンチェ ルー (Sanche Loup)が誕生する。パンプルンからガロンまでを支配した。
1032年子孫が途絶えることによりフランス王国の一部としてアキテーヌ侯爵支配下の子爵領となる。
1152年にはアリエノール ダキテーヌとアンリー プランタジュネの結婚、その後1154年にアンリープランタジュネがイギリス王になることにより、その支配下となる。
1215年バイヨンヌがラブールから離れ独特の行政システムが出来る。
ナヴァール王国がヴァスコン家によって出来それが16世紀まで続くことになるが、すでに14世紀の中頃から継承問題、ペストの流行で国力が衰え1512年カスティーユ軍の侵略を受ける。
1589年アンリー四世がフランス王として戴冠することによりバスク地方がフランス領とスペイン領に分けられる。
1659年ピレネー条約がアンダイのフザン島で調印、その時ルイ14世はスペイン王の娘妃マリーテレーズとの結婚を承諾、この婚礼で南ナヴァールを放棄することによりこの地方に平和をもたらした。
バスク人の身元は、ウスカル ヘリア(Euskal Herria)でバスク語を話し政治的に付けられた国境には関係なく彼ら独特の生活習慣を持ち、それらを犠牲にする気持ちも一切なく、学校でもバスク語教育が行われている。
キリスト教会の教会が残された行事を中心に一年の生活が在る。特に、サン ジャックコンポステラへの巡礼は大きな影響を文化的に与え、あちこちに素晴らしいロマネスク教会が建設された。
北バスク地方 | 首都 |
1)ラブール La Bourd
2)バース ナヴァール La Basse Navare
3)ソールSoule
|
バイヨン Bayonne
サンジャンピエドポール St Jean Pied de Port
モーレオン Mauleon
|
南バスク地方 | 首都 |
1)キプコア Guipuzcoa
2)ビスカイエBiscaye
3)アラバ Alava
4)ナヴァレNavarre
|
サンセバスチャン St Sebastien
ビルバオ Bilbao
ヴィクトリア Vitoria
パンプローナ Pampelune
|
|
人口 300百万人
10%だけが北バスク地方に住んでいる。(ラブール、バースナヴァル、スール)


地形と気候
ピレネー山脈は五百メートルから二千五百メートルを有し、バスク地方を二つに区分する。
- 西斜面は エブレ川 (Ebre)が流れこむ大高原で知られる(ナヴァレ)NavarreとAlava(ナヴァラ)地方、 夏は暑く乾燥 冬は寒く雨はほとんど降らず典型的大陸地中海気候
- 大西洋斜面 Guipuzcoa(ギプコア)とBiscaye(ビスカイエ)地方、ナヴァレ地方の西部の一部と北部(スール、バースナヴァレ、ラブール等)、典型的海洋性気候。年中平均的に雨が降り時々大量に降ることも有る。谷間と中型山脈。
産業
- 大西洋側ピレネー (みどりのバスク地方)
酪農 とうもろこし
- 地中海側 (黄色のバスク地方)
麦 大麦 ブドウの木 オリーブの木
- ビスカイエ地方 (黒いバスク地方)
港湾 工業都市
- 大西洋側ピレネー (ブルーのバスク地方)
漁港 砂浜海岸
地方産業
*ラブー Le Laboud
バイキングの来襲が航海術もたらして、海洋がこの地方の産業に大きな役目を果たし、商業、鯨漁業 海賊 等々の発展があった。
内陸では農業で発展する。 ビダシュ、 アスパレン、 イタクスー、地方(Bidache, Hasparren, Itxassou,)
*バース ナバールLa Basse Navarre
一番広大な地方、北バスク地方、スペインからナヴァル地方が分かれたのは16世紀宗教戦争のときに大きな亀裂を作った。伝統的農業による農村。
*ラ スール モーレオンLa Soule Mauleon を中心として、他の地方に比べると少し隠れた存在である。
地形がもたらした伝統習慣が残りすばらしい文化がある。
観光業…ナポレオン三世によって、観光産業の奨励なされた。ビアリッツ、アングレ、サンジャンドルューズ(Biarritz, Anglet,St jean de Luz、Hendaye)現在も多くのヨーロパ人たちが訪れる。

バスク地方の食生活
*肉料理
ラクソア(L axoa)
(Le confit)
生ハム(Le jambon)
パロンブ(La palombe)
バスク風鳥肉ロースト(Le poulet basquaise)
ジキロ(Le zikiro)
*魚料理
イカ料理(Les chipirons (calamars)
鯛焼き(La dorade)
鱈(colin)、Le merlu
大鱈La morue
ピバル(Les pibales)うなぎ料理、 アンギーユと呼び、他の地方ではシベル、絶品地方料理。
まぐろ(Le thon)
虹鱒 (La truite)水のきれいな山水で養殖された鱒
*アルコール
イルールグイ、ワイン、(L Irouleguy)
イザラ、リキール酒、(L Izarra )1835年、20種類ほどのピレネー、オリエントの草で加工した。
リキール酒、(Le patxaran)プラムから製造。
*その他
チョコレート(Le chocolat)1761年バイヨンヌに製造会社ができる。
雌ひつじチーズ ( Le fromage de brebis)。
バスクケーキ)Le gateau basque((パロンロンブ各村に名産としてある。
マカロン(Les macarons)丸菓子でアーモンド。
ピぺラード(La piperrade)バスク語のbiperra(ビぺラ、ピーマンの意味) ピーマンを揚げトマトと玉葱を混ぜ合わせる。
ツーロン、ヌガーの一種(Le touron) アーモンドの味。

成瀬 ポテイエ 益子
>>プロフィール
|
|
本サイトはフランス日本語ガイド通訳協会(AGIJ)の公式サイトです。
紹介頂く分にはリンクフリーですが、個々の記事、写真等の無断転載はお断りします。
|