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■イル・ド・フランス 印象派の里

  『フランスの島』イル・ド・フランスと称されるパリ近郊、セーヌ河が緩やかに蛇行、連なる緑豊かな丘陵の小さな町々....アルジャントイユ、シャトゥ、ブージヴァル、クロワシー、ルーヴェシェンヌ、ポールマルリー、マルリー・ル・ロワは19世紀後半Impressionnistes『印象派』と呼ばれた画家達が愛し、不滅の作品を残した地である。その多くの町々は今尚、その素朴さと美しさが昔の村の面影を留めて私達を感動の世界に導いてくれる。

  19世紀の工業、産業の画期的な発展によって蒸気機関車が発明されたり、絵具がチューブに入るという新しい時代が訪れると画家達は戸外へ出、印象派の命である光と大気を求めて水辺の小さな村々へ向かうようになった。モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、マネ、カイユボット・・・、すでに19世紀前半にはイギリス人の画家ターナーが長いセーヌの旅をしこの地を描いていた。

  1857年にフルネーズという名の船大工が当時漁夫や船頭や農民達の住むシャトウの村の島に仕事場をもうけ、その妻がレストランを開いた。家族ぐるみのこの店の立地条件はまさにモネやルノワールの求めるものであった。

  小舟の浮かぶ水面の輝き、木々の繁り、澄んだ空・・・そこにはパリでは味わえぬ世界があり、モネやルノアールを始め多くの画家仲間やフロベールやモーパッサンやゾラ等、数々の文人、知識人達が集い、婦人たちを伴っての賑やかな社交場となっていった。

  フルネーズ家の娘アルフォンシーヌはドガの交際相手でもあり、画家達のモデルともなった女性で、その姿は特にルノワールによって今も生きつづけている。





フルネーズのレストラン

  モネやルノワールは船頭や客達の食事光景をはじめ、『ラ・グルヌイエール』(カエルのたまり場)と呼ばれるクロワシーの島の一隅で多くの人々が水浴びしたり、食事したり、ダンスをしたりという姿を描いた。当時ガンゲットと呼ばれるダンスを楽しめる居酒屋的レストランも随分流行した。ルノワールの『田舎でのダンス』(ルノワールの妻アリーヌがセンスを持って踊っているポーズ)もこの近くのブージヴァル似て描かれたのである。当時の庶民的な社交の楽しい幸せな世界が浮かぶ様である。

  1871年、一時滞在のイギリスから帰ったばかりの31才のモネは‘78年まで小村アルジャントイユに住むようになりここで意欲的な芸術活動を行った。当時まだ静かなこの村はボート遊びを楽しむ所であったようだ。セーヌ河に浮かぶヨットなどの風景、『アルジャントイユの橋』、『アルジャントイユのレガッタ』や春の野原に一面に咲き乱れるコクリコの花、有名な『ひなげしの花』等、溢れるような光の反射の絵を描き、多くの友人の画家たちに影響を与えた。

  シスレーやピサロは性格的にもどちらかと言えば静かな村の風景を好んだ画家である。モネと親しかったシスレーはまず1870年から74年までルーヴェシエンヌの一隅ヴァザン村に住みついで翌年隣村マルリー・ル。ロワに移った。セーヌを見下ろすこの高台の村々は溢れる木々の緑の中に隠れる様にしてかつての王族・貴族の城館が小さな農家、民家に交じって点在している美しい所である。シスレーは村の鍛冶屋の閉ざされた薄暗い仕事場の光景や『雪のマルリー・ル・ロワ』『ルーヴェシエンヌの雪』『ポール マルリーの洪水』等、自然の生み出す微妙な光の風景を描いた。又『ルーヴェシエンヌのマシンの道』の様な透視図的な構成も特長ある。


ルーヴェシエンヌのマシンの道


ポール マルリーの洪水


ヴァザン村の入口


  ピサロも温厚な人柄がしのばれる素朴な風景画が多く、シスレーとの類似点も感じられる。やはり一時期ヴァザン村に住み、落ち着きと素朴さ、光と陰影の対比を見事に描き上げた『ヴァザン村の入り口』や『ルーヴェシエンヌの村の道』等がある。又、ルノワールも一時この村に住み、その家はデュ・バリー城の近くに残っている。
  これらの印象派の画家達はその風景の中に何気ない日常生活の姿の人物達を登場させた。更に彼らの新しい画法によってそこには人々の生活が展開し、太陽が輝き、水面が反射し、或いは雲が流れ、大気や風が肌に感じられる動く世界が生まれる様になったと言えるであろう。
  最後に付属であるが、このルーヴェシエンヌの村は既に18世紀ヴェルサイユ宮殿にて王妃マリー・アントワネットの画家として、友として、30数枚に及ぶ王妃やその子供たちの肖像画を描いた女流画家エリザベート・ヴィジェ・ルブランがなくなる1842年までの33年間、今は亡きマリー・アントワネット王妃を偲びつつ過ごした地である。当時ロシアの女帝エカテリーナ2世からも賞賛され名声を馳せた女性である。

  『Cite des Impressionnistes』(印象派の里)とも称されるこれらの町々は一部は今日近代化された所もありますが、まだまだ小村当時の素朴さが心を打つ風景も多く残されています。いづれもパリから北西、及び西へ約15Kmから20Km程の地点で、ヴェルサイユ宮殿にも近い距離です。太陽王ルイ14世にセーヌの水を汲み上げ、ヴェルサイユ宮殿まで運んだ機械(マルリーのマシンと呼ぶ)や水道橋がこの近くに廃墟として残っています。


柿本ブロンドー節子
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