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■マリー・キュリー夫人とジョンキーユの花

  ジョンキーユという花をご存知ですか? ヨーロッパの長い冬に終わりを告げるようにジョンキーユの花は太陽の色をして薄暗い森の中に咲きみだれます。春を告げる南仏の花がミモザとすれば、北フランスはジョンキーユなのです。 この黄色い花に希望を託して、春分を過ぎる頃に毎年マリーキュリー研究所ではガン対策研究資金キャンペーンを繰り拡げます。今年も博物館にもなっている研究所から芝生の絨毯が彼女の永眠するパンテオンまで敷かれ、パンテオンの前は6万本のジョンキーユで飾られました。(写真)


  マリーキュリー夫人は日本の子供たちが知っている世界の10大科学者の中に必ず登場してくる女性です。女性がまだマイナーな存在であった時代をその突出した頭脳と努力によって乗り切り、科学を通して人類に貢献した人だからです。彼女は日本が開国する頃にポーランドで生まれています。天分に恵まれながら女性故に大学入学を拒否され、フランスに留学したキュリー夫人。そこで知り合ったピエール・キュリーと28歳の時結婚し、設備の悪い納屋で共同研究を重ねながらついに31歳(1898年)の時にラジウムを発見します。


  この画期的な発見によって36歳(1903年)の時、<女にできるわけがない>という世評の中で女性では初めてノーベル賞(物理学)を授与されることになります。しかし、男性科学者たちの嫉妬は執拗でラジウム発見に疑問を投げるものが後を絶たなかったために夫人は化学的にもそれを実証してみせました。このために再びノーベル賞(化学)の栄誉に浴することになります。夫人、44歳(1911年)の時でした。ラジウムはその強い熱放射によってガン治療に使われ、またその効能は皮膚病や化粧品にも及んでいきました。


  募金キャンペーンの一環として、キュリー夫人時代の市営バス(写真)を使ったツアーが企画されました。後部にデッキの付いた33人乗りのバスは、パンテオン、ラジウム発見の建物、講堂、夫人の住まいなどをガタゴト音を立てながら巡りました。
  中高生を対象にしたエデュケーショナルツアーの中に、研究室を当時のままに残す博物館(写真)や婦人が永眠するパンテオン訪問を加えるのはすごく刺激的なアイデアではないでしょうか。子供たちはジョンキーユのように希望の世代ですから。





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