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■ジャンヌ・ダルクの都市オルレアン2

▲ステンドグラスのジャンヌ
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ロワールのお城めぐりのツアー帰りに見えてくるオルレアン市でひときわ目立つのがカテドラル・サント・クロワです。鐘楼の塔が王冠の形をしており印象的です。ここからまっすぐに敷かれた通りはジャンヌ・ダルク通りとなっており<ジャンヌの家>のある広場と結ばれています。この通りでは、毎年、5月8日のオルレアン解放記念日に、選ばれたミス・ジャンヌ・ダルクを先頭にしたパレードが華やかに繰り広げられます。
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▲祈るジャンヌ像
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カテドラルの中に入りますと,すぐに左右に見えてくる大きなステンドグラスに眼は引き付けられます。側廊の全てにジャンヌの短くも濃縮した激しい生涯が描かれているからです。入ってすぐ左手に飾られているステンドグラス(写真)は<ツウーレル塔>攻撃時の英仏王国軍入り乱れた戦闘です。混乱の中で、ただジャンヌだけが羽を拡げたミカエル大天使に護られ落ち着いてフランス王国軍を鼓舞しています。<イエス・マリア>と縫われた白い旗を手にしているのがジャンヌ・ダルクです。
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▲アングルのジャンヌ
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カテドラルを出ますと斜向かいに16世紀の代官所があり、現在、市庁舎として使われています。余り知られていませんが、実はここにジャンヌをイメージする像と絵の傑作があるのです。まず、屋敷の中庭に、その敬虔さと純潔さにおいてジャンヌ・ダルクの姿を最も良く表わしている感動的な立像があります(写真)。抜いたサーベルを力を込めて右手に握り締め、その右手に対してアンドレ十字を切る左手がしっかりと勝利の約束をしているようです。神の前に頭(こうべ)を垂れ、全てを投げて祈る少女ジャンヌの無心さを見事に表わしています。しかも、第二次大戦の戦闘時とはいえ、ところどころに穴の開いたスカートがジャンヌの無心な祈りに痛々しさを加えています。この傑作を創造したのは、実はフランス王のプリンセスであるということがまた驚きを一層のものにするのです。作者はマリー・ドルレアンMarie d'Orleans。彼女は7月革命(1830)の後、フランス国民が選んだ王、ルイ・フィリップ・ドルレアンの娘に当たるのです
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▲オルレアン名物
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16世紀の代官屋敷の中には自由に入れます。すると、最初の部屋に今度は巨匠アングルの絵<戴冠式に臨むジャンヌ・ダルク>(写真)が登場して来ます。観光当局でこの絵の存在を知ったとき、<ルーブルにも同じタイトルの絵がありますが、オルレアンのものはコピーですか?>と、尋ねると<ルーブルはスカート姿のジャンヌですがここでは武具に身を固めています>という返事でした。巨匠アングルは女性らしいジャンヌへの対画として、オルレアン市のために勇ましいジャンヌの絵を描いたというわけです。絵の下にはエンペラー(ナポレオン3世)によってオルレアンン市に寄贈されたと銘記されています。オルレアン解放の偉業を為したジャンヌは、その後、代々のフランス王が戴冠式を挙行してきたシャンパーニュ地方の都市ランスで、フランス王を僭称したイギリス王に先駆けていち早くシャルル7世を戴冠させるという快挙も成し遂げました。栄光の頂点にあるジャヌ・ダルクを巨匠アングルは遠き15世紀に思いを馳せて見事な筆さばきと想像力で描き上げています。
さて、オルレアンの都市を去るにあたってお土産に紹介したいのが名物<コティニャックCotignac>です(写真)。コティニャックはマルメロ(Coing)という余り私達が知らないフルーツを使ったゼリーです。中世からの伝統的なデザートということですので、もしかしてジャンヌダルクもオルレアンで味わったのかも知れませんね。
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