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■ジャンヌ・ダルクの都市オルレアン



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新しいツアーを探している個性ある日本人ツーリストが増えつつある昨今ですが、オルレアンの都市にジャンヌ・ダルクの家(写真)を訪ねたいという若いカップルがいて、この都市を案内する機会に恵まれました。
久しぶりに訪れたオルレアンは黄金色のトラムウエイが静かに走っていて超スマートになっていました。ジャンヌ・ダルク騎馬像のあるマルトロワ広場(写真)は文字通り町の中心でここからあらゆる方向に通りが出ていますが、ここでもトラムウエイが騎馬像の後ろを音も立てずに走ってました。騎馬像はナポレオン三世の時代にコンクールにかけられたもので、フォアヤチェー(Foyatier)の作品。激しかった要塞の攻防戦に勝利を収め、町に凱旋したジャンヌがかぶとを緩め、サーベルを下ろし天を見上げて神に感謝し、勝利を告げているようです。
<ジャンヌ・ダルクの家>というのは彼女が生まれた家でも住んだ家でもなく、防備の薄かった東手ブルゴーニュの門から都市入場を果たし、熱烈な歓呼に迎えられて進んだ通りの突き当りの広場にあった財務官の家で、オルレアン周辺からイギリス軍を撤退させるまでの10日ほどを主賓としてジャンヌ・ダルクが過ごしたところです。第二次世界大戦の爆撃で家は壊されましたが、60年代にまったく同じように再復元されています。ジャンヌが過ごした部屋は2階で、この階にはイギリス軍撤退を決定的にしたツゥーレル要塞塔とオーギュスタン砦での攻防戦の模型が置かれ、イヤフォンガイドによる案内が為されています。
ツゥーレル要塞塔とオーギュスタン砦は、町の橋向こうのロワール河左岸、つまりフランス王政府側にあり、イギリス王国軍に占領されていたのです。したがって、この二つの拠点は、これを攻撃し勝利しない限り、オルレアンの解放は無いという戦略上の最大ポイントだったのです。ここにおいて、ジャンヌは胸に弓矢を受けながらも戦い、夕暮れも迫り明日を考えていた兵士たちを鼓舞して奇跡的な勝利をもたらしました。今はもう橋も塔も砦もなく、ただ質素な記念碑があり、近くの広場にはジャンヌの<兵士を鼓舞する像>(写真)が立っています。
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