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スペイン語ではロンセスバージェスであるが、フランス語化された名前がロンスヴォ−。
北スペインに位置し、スペインを形成する17の自治州の一つであるナバーラ州にある。フランス側のピレネー山脈の麓にある町、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールからのピレネー越えは巡礼最大の難所で、夏でも寒く、所々雪の残るきつい道である。中世の巡礼案内書にはシーズ峠(現在のイバニエタ峠)越えを"登り8マイル、下り8マイル、空に手が届くほどの高さである"と述べている。サン・ジャン・ピエ・ド・ポールからピレネーを越えてロンスヴォーに向かう道は二つある。一つは国道を登って行く道。
ロンスヴォーの手前で8世紀の伝説に詠われたローランが亡くなったイバニエタ峠を通る。
又峠にはローランの名剣、デユランダルを折る為に突いた石碑も立っている。ここからロンスヴォーまでは、5分ぐらいで到着。二つ目は中世以来、巡礼者が歩いた道で、多くは山の中。これは、Chemin de Compostellaと呼ばれるサン・ジャック…コンポステーラへの道で、スペイン戦略の時にナポレオンも通った、地図上の428号線。
美しい教会と美術館を持つ地味な村であるが、何よりもローランの歌の舞台となった場所として有名である。
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伝説に依ると、778年8月15日、シャルルマーニュ(在位768−814)軍隊の最後部隊を率いていた配下の武将、ローランはヴァスコン族に奇襲され、ここで華々しく戦い、亡くなった。ローランの歌はフランス最古の文学とも言われる武勇詩、Chanson du Gesteに描かれている。場面は、シャルルマーニュ王がスペイン攻略のため7年を費やし、国中のほとんどの場所を制圧し終わったところから始まる。スペイン王マルシルは山間いの砦、サラゴッサに追い詰められていた。マルシルの元には、二万以上の兵があったが、それでもシャルルマーニュに勝てない。もはや打つ手なしとなった王は、シャルルマーニュのもとに使者を送り、忠誠を誓う策をとる。その証として人質を10人でも20人でも送り、信じさせようとするが、実はフランス軍勢に引き上げさせるための偽りであった。さて使者の答えを待ち受けるシャルルマーニュはマルシルからの申し出を聞いても半信半疑。というのは過去にも同じように恭順の誓いをしたくせに、フランス側の使者を切り捨てたからである。しかし家来のガヌロン伯の忠告で 申し出を無下に退けない方が良いということになり、それでは誰がフランス側の使者になるかと家来に問う。そこへロランが、我義父、ガヌロンをと提案する。人々皆納得し、 大いなる知恵者、ガヌロンこそふさわしい、と決まるが、当の本人、ガヌロンは、義理の父である自分を危険な任務に付かせた事でロランを恨むことになる。さて、サラセン人の元へたどり着いたガヌロン伯にマルシルの家来、ブランカンドランは、シャルルマーニュの偉業を称え、イスパニヤに何を望むのか、と探りを入れる。ガヌロンは王の意向を伝える。すなわち、キリストの教えに服し、シャルルマーニュの家臣として、イスパニアの領主となること、もしこれを受けなければ命はないと。マルシルは怒りに震え、ガヌロンを切り捨てようとするが、家臣に止められる。マルシルは考えを変え、ガヌロンに高価な贈り物をして機嫌をとり、どうすれば、被害をおわずシャルルマーニュに撤退してもらえるかと相談を持ちかける。ガヌロンは言う。"彼の甥のロランとその友、オリヴィエある限り、王は戦意を失わないであろう" つまりロランとオリヴィエを殺せ、と言うのである。さらにガヌロンは言う。"人質を20人ほど送れば、シャルル王も納得して帰るであろう。後部隊にはロランとオリヴィエが残るので、この二人さえ討ち取れば、もはやフランスが二度と侵攻してくることはない"と説得する。こうして、フランス側が引き上げる時、マルシルは軍を率いて、しんがりを務めるロランとオリヴィエを打つ算段となったのである。裏切り者ガヌロンはガルヌの町へ帰り着く。待ち受ける王と廷臣たちの前にマルシルより託されたサラゴッサの城門の鍵を差し出し、マルシルは親書にあった申し出を受けるつもりでいる、と述べる。これを聞いて、王はマルシルが軍門に下がることを承知したものと考え、ガヌロンの労をねぎらい、戦いは終わったと皆に引き上げを告げる。
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しかしその頃、サラセン人の軍勢40万は、ロランの軍を討つため、山間に身を潜ませていたのである。やがて夜が明け、出発という時、王は問う。"さて誰がしんがりを務めるべきか" ここでガヌロンが言う。"わが義息ロランこそ。あれほど武勇のある者はおりません" こうしてまちうける伏兵40万人、ロラン率いるフランスの軍勢2万。ガヌロンの裏切りにより、ロンスヴァルの谷間において、決戦の幕が上がるのである。
迫り来る軍勢を前にして、オリヴィエは言う。"ガヌロンはこれを承知していたはず、我等を危険な目に合わせる企みだ" 味方の不利は既に明白、オリヴィエはロランに駆け寄って、援軍を呼ぶための角笛オリファンを吹き鳴らせと要請する。しかしロランはそれを自分の驕りから拒む。最初の段階で角笛を吹いていれば、先に山を越えた本隊が戻ってきて、マルシルの軍勢は打ち破れたはずなのに。先陣を切って駆けつけたマルシルの甥が、ガヌロンの裏切りを告げて挑発し、怒ったロランに切られて落命。この調子で挑発されたオリヴィエも、サラセン人を切り伏せる。フランス12人衆対イスパニヤ12人衆はフランス側に軍配が上がった。しかし戦いはさらに苛酷を極め、ついにマルシルが手勢を連れて姿を現す。やがて、一人、又一人と味方が倒れてゆく。ついにロランは援軍を呼ぶ為、角笛を吹こうとする。だが今度はオリヴィエの激しい怒りに遮られる。今更笛を吹いてももう遅い。そこへ大僧正チュルパンが言う。もはや手遅れでも吹かないよりましだと、角笛を吹くようにロランに促す。ロランは三度、角笛を吹く。その音色ははるか遠方に去っていた、シャルルマーニュの耳にも届く。あれは戦いを告げる音、さてはロランの身に何かあったかと馬首をめぐらそうとする王の前に、ガヌロンが進み出て、思い過ごしであって、戦いなどあるはずがないと言いながら、まっすぐフランスへ帰らせようとする。
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だが、急を告げる角笛の音は消えず、人々は戦いのあったことを知る。ガヌロンの裏切りは知れ、彼は捕虜となる。シャルルマーニュはすぐに軍を引き返させ、ロランを援護しようとする。ロランとオリヴィエは死を予感し、捨て身の覚悟で敵陣に切り込む。ロランはマルシルの右の拳を斬りおとし、マルシルの息子を斬り殺す。だがオリヴィエはマルシルの叔父アルガリフの手によって致命傷を負わされ、相打ちとなって倒れる。親友が死に行くさまを見たロランは、ようやく辺りの惨状に気が付いた。せめて命の尽きるまではと、死に物狂いで剣を振るう。ちょうどその時、フランスの軍勢が吹き鳴らすラッパと、どよもしが、戦場に聞こえてきた。イスパニア軍は浮き足立つ。ロランの率いる軍の強さを見誤り、壊滅させるのに時間がかかり過ぎたのだ。サラセン人の軍勢が逃げ出した後、ロランは戦場をまわり、12人衆の遺体をかき集める。一人残されたロランは、天然の大理石のそばの木陰に倒れふし、そのまま気を失ってしまう。それを見ていたのは、戦場に潜んでいた異教徒だった。ロランが気を失ったのを見るや近ずいて、その手から剣を奪おうとした。しかし名剣を奪われそうになった瞬間、ロランははっと正気に返り、とっさに角笛、オリファンで賊を殴りつける。角笛は裂け、ばらばらになって散った。もはや生きながらえることはあるまいと彼は死を覚悟する。ならば異教徒の手に奪われるよりは、美しき剣、デユランダルよ、お前もここで果てるが良い、と剣を力いっぱい大理石に打ち付けるが、名剣は簡単には折れてくれない。ロランは嘆き、免罪の言葉を述べながら力尽きる。
そして最後の一人まで倒れ、戦場が静まった後、シャルルマーニュがようやく戦場に辿りつく。怒りに震える王は全軍に追撃の命令を下す。その日フランスの軍勢がイスパニヤ軍を倒したときには異常に長かった日も暮れていた。
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