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■<ルーブル・知られざる絵画> 子羊と戯れる洗礼者ヨハネ
バルトロメオ・マンフレディ Bartolomeo Manfredi (1582-1622以降没)



  この作品は現在ではカラバージョ(1571−1610)の弟子にあたるマンフレデイの作品と考えられています。
  洗礼者ヨハネが岩の上に座し、右手に葦の杖を持ち、左手では大きな子羊を撫でています。杖は羊飼いの象徴です。子羊の右脚が洗礼者ヨハネの腕にかけられているのがかわいらしいですが、何か話しかけているように思われます。この子羊は葦と同じようにやがて訪れるキリストの受難を表しています。伝統的なイコノグラフィー(図像学)からすれば子羊には十字架を描き、ヨハネはラクダの毛でできた着物を纏い動物の皮でできた腰巻をしているべき(マタイ書3−4)なのですがここではそのようには描かれていません。これは<日常性の中での宗教画>を描いた師カラバージョの影響でしょう。グレコ・ローマンの肉体美を理想としたルネッサンス期を経た宗教画には俗性があからさまに介入しているといっても良いでしょうか?どこにでも見かけられる少年でヨハネを表現しているように、時を経て、崇高なキリスト教画も庶民の生活レベルに下りて行ったと言うべきでしょうか?また、斜め上から入る生々しい光(俗的光)が画面に強烈な明暗のコントラストを作りるところなどはカラバジスムです。光は洗礼者の肉体の一部の構造(筋肉/骨など)をはっきりと照らし他を影に隠しています。冷たい色彩の数は限られ、狭い画面の中で画家は正確にモデルのトルソ、羊の毛並み、着物の皺や植物を描いています。ヴィジョンのナチュラリスム性や光の使い方はカラバージョ的です。また、迫ってくるような額縁、モデルや動物を実物大に描くことも師カラバージョに似ています。
  ところで、何故、洗礼者ヨハネに子羊なのでしょうか?新約聖書では、ヨルダン川でメシア(キリスト)の到来を待ちながら人々に洗礼を施していてイエスがついに現れた時、洗礼者ヨハネは<ここに居ますは神の子羊。この世の罪を取り払うもの。>と宣言しています(ヨハネ福音書1−29)。福音書は更に続き<その翌日二人の弟子とヨハネは再びそこにいた。やって来たイエスを観て、(ここに居ますは神の子羊)と彼は言った。二人の弟子はイエスの話を聞きついて行った。>と記しています。洗礼者ヨハネと子羊は、このようにして切り離せないないものになっているのです。
  <子羊と戯れる洗礼者ヨハネ>はポンチエーヴル公爵(Duc de Penthievre)のコレクションでしたが、フランス大革命時に差し押さえられたものです。その時、この絵画はシャトーナフ・シュウ・ロワールChateauneuf-sur-Loireに在りました。しかし、もとはこのキリスト教画はポンパドール夫人からシャトー・ドゥ・クレシーChateau de Crecy(Orne)を公爵が購入し、クレシー城内のシャペルに飾ってあったものでした。

(協会翻訳編集部)




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