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■なぜ人は美術館へ?

  なぜ人は美術館を訪れるのでしょうか?特に異国の旅先で。たとえ日本ではそれほど美術に縁のない人でも、ひとつはその国の美術館を訪れるものです。海外旅行で私達は何を探しているのでしょう?
  たとえば、アメリカ人観光客がヨーロッパで美術館を訪れるのは、自分の国にない“伝統性”を探しているからだと言われているようです。もちろん、芸術作品だけが文化の代表ではありませんし、街角で路上の絵描きと一緒に記念撮影するのも旅の楽しみです。しかし、おそらく、私達はなにかもっと深く自分自身に刻みこまれるものを探しているのではないでしょうか。たぶんその国の歴史のようなもの。美術館にはそれが凝縮して存在していることを私達は知っているし、異邦人として裸になった心にそれが染み込む快感を味わう期待で一杯なのです。
  特にフランスには、いかに多くの美術館があることでしょうか。しかし、一般市民が美術館を享受できるようになったのは、フランス革命がきっかけだったのだと思い出すと、わたしたち日本人までが200年以上遡るヨーロッパ市民革命の恩恵にあずかっていることに、歴史の綾を感じずにはいられません。

  それまで特権階級だけが楽しむことのできた芸術を、“国民ひとりひとりも享受できるように”するなんて、まったくフランス革命家たちの言いそうなことです。例えば、1790年には革命政府によって没収された貴族や教会財産が、さっそく当時新しくできた83各県に一つずつ設置される国民のための美術館のために分配され、また教会建築は美術館の箱として再利用されたほどですから。
  現在わたしたちの知っているルーブル美術館でも、1793年にルーブル宮に“革命の美術館”として生まれて以来、いかに訪れる国民がそれぞれの作品を見て学ぶことができるようにするか、歴代の学芸員たちは論議を繰りかえしてきました。展示の仕方、例えば、7mの間と呼ばれる展示室がありましたが、鑑賞者が見やすい作品との距離を考えてのことですし、天井を抜いてガラスをはめ込み、日光を取り入れる方法も、たぶん紫外線のことは考慮しなかったようですけれど、作品の照明を考慮してのことです。

  そして、もちろん各派による作品の分類や歴史の流れにそった展示室の配置。美術館はまさしく、学びの殿堂として誕生したのです。こうした、美術館の存在定義はフランスでは脈々と受け継がれています。2002年1月4日に制定された博物館法の第2章にまで。

  美術館で見る作品一つ一つが、実は理由があってその場所にあるのだと知ったとき、どれだけ深い鑑賞ができることでしょう。とはいえ、私たちが異国の美術館を訪れるのは旅の楽しみのため。美術館でのそんな謎解きも、そのうちの一つではないでしょうか?

  もちろん、ヒントがないと天才でもなかなか謎は解けないものです。解説書や、オーディオガイド、そして通訳ガイドがそうしたヒントの手がかりになることでしょう。何か一つでも、謎解きが成功すればその美術館を訪れたことの、そして旅そのものから得た人生の遺産になるのではないでしょうか?それは、カフェ・ドゥマゴで教会を横目に口をつけるコーヒーくらい味わい深く、時としてノスタルジックなものです。

  ところで、当時の国民議会議員のひとりが、没収された財産が政府によって売り払われることに抗議して、「すべての外国人、愛好家達が我々の美術館につめかけるようにしてやるのです。そこにある素晴らしい作品を見るために。そして、彼らが滞在する間に落としていった金で私達の芸術と商業を盛りたてようではありませんか![1]」といっている請願書を読むと、彼らの望みはまんまと達成されているので、これまた歴史の因縁を感じるのです。


[1] Puthod de Maison-Rouge , Maconnais市の議員 : Dominique Poulot, Patrimoine et Musees, l’institution de la culture, Hachette, Paris, 2001, p.51.


西井 アカネ
筆者紹介
2002年よりエコール・ド・ルーブル第二課程 ミュゼオロジ−在籍。1974年福井県生まれ。




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