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■岩窟の聖母(1508年頃)ナショナル・ギャラリー・ロンドン
ロンドン・ブルーバッジガイド  鈴木保行氏

  ナショナル・ギャラリーにグループをつれて入場すると、最初に目に付く作品がこの「岩窟の聖母」です。 ルネッサンスの最盛期の芸術家を数人挙げることによってダ・ビンチの存在を位置づけていきましょう。ミケランジェロといえば、その情熱的な生き様と共に89才という長い人生をかけて、力強い人体表現と絵画彫刻を数多く残しました。(例えば、すぐに頭に浮かぶダビデ像)またシスチ―ナ礼拝堂の天井画が頭に焼き付いているはずです。
  ラファエロは音楽家のモーツアルトのように短命の天才でした。 ダ・ビンチとミケランジェロの業績を受け継いだ聖母子像でわかるように、これぞルネッサンスの古典主義の極めであること疑いありません。

  ベネチア派のテイテイアーノは90才の長い人生を絵画一筋で生き、線ではなく色と筆使いでデッサンなど必要とせずして、大胆にキャンバスに直接に描くやり方と、その絵画への膨大な量と分野の豊富さと、豊かなる色彩感には目が眩むほどであります。

  では、レオナルド・ダ・ビンチといえば、即座に天才であり、彼の才能は科学・芸術・哲学等あらゆる分野に秀で、芸術家であり学ぶために数多くのデッサンが各々の分野で残されていることは誰もが熟知していることです。 しかし、彼の作品をあげよと問われたら、一般的に出てくるのは51才の時、着手した「モナリザ」と43才の時に着手した「最後の晩餐」くらいかもしれません。 彼にとっては、学ぶことが大事であって、仕上げることに意味を持たなかったことが、完成された作品が少ない理由かもしれません。

  そんな中で、前2作品の次にでてくる作品名といったら、この「岩窟の聖母」をあげる人が多いのではないかと思います。 何故ならば同じ教会へ同じ主題で描かれたもう一枚の祭壇画がパリのルーブルに似た作品として展示されているからです。

  両方共、彼の手がかかわっているとはいえども、ルーブルの「岩窟の聖母」は1483年頃に描かれ、この作品との間には約25年の月日が流れています。 そして、その間に有名な「最後の晩餐」が描かれているのですから、この2作品を頭に浮かべ比較しながら「岩窟の聖母」を鑑賞してみると面白いでしょう。

  そもそも聖母子像はキリスト教絵画の中では最も愛される題材であり、画家たちは当然のように、そこに永遠の母性のイメージを見つけ描くわけです。

  私生児として、すぐに母親から引き離され、父と継母に育てられたレオナルドには、それが一層強いかもしれません。 ただ、ここでの母マリアは単なる母ではなく、神の子イエスの母であるわけですから母子の情愛と単なる人間的感情表現で描くだけでは物足りないし、不適切です。

  しかし、人間性を除いた情愛表現は不可能なので、それを地上の愛から天上の愛へと変容させなければなりません。 ましてや、この「岩窟の聖母」はミラノのフランチェスコ会の教義(マリアは人間の最大の弱点である情欲なくして、イエスを懐胎したのみならずマリア自身も単なる娘ではなく出生から無垢な存在で、神聖化する為に母アンナの体内に彼女自身が情欲なくして宿った。)に基づいた聖堂の注文であるから、なおさらのことです。

では、それをどのように表現したのでしょうか?
それは25年間の月日が流れていても、両方の岩窟の聖母の共通点として現れています。

(背景)
  水と岩の織りなす神秘的自然景観を彼の地質学・地球物理学への探求に基づいて。生物が誕生する以前の世界、時間を越えて無限に広がる宇宙のように築き上げました。 また、色合いを茶・青系統の薄暗い色で統一させ、聖家族が劇的に浮かび上がるような空間構成で表現しました。

(構図)
  三角形でまとめ、一番低いところに幼いイエスを配置させました。これは、キリスト教義の一つの美徳である謙遜を表現しています。 この謙遜は、イエスが弟子の足を洗うシーンを思わせます。 また、「最後の晩餐」でユダの配列をあえて他の使徒達と同じ側に置き、劇的緊張感を高めたのに似ています。ここでは、この位置の意外性がこの崇高な聖家族のドラマ性を高めているのです。

異なっている点といえば、

  ナショナル・ギャラリーの作品は、まず色合いがよりモノトーンになっていることに気づきます。 そもそも、この作品を飾る額が豪華に装飾されていたために絵画自体に鮮やかさが残ると額と絵画の統一感が薄れてしまいます。 これは「モナリザ」の服装を地味にし、装飾性をモデルから排除し、モデルを聖母の様に神聖化することに似ています。

  動揺に、天使ガブリエルの指差すポーズと赤い衣は消え、数多く描かれていた植物は減り、場面がよりシンプル化されています。 これによって、イエスとヨハネが向かい合う視線に焦点が絞られています。

  他に、マリアの衣は、更に内に秘められた肉体をなぞるかのように描かれ、イエスはより筋肉質になっています。 また、劇的効果が二人の子供を間違えないようにイエスには(円光)、そしてヨハネには(十字架)を持たせています。

  このナショナル・ギャラリーの作品は、イギリスのプライベイト・コレクターを通して最終的にここに展示されていますが、フランスではルーブルのみならず、ダ・ビンチ自身がフランス王の招きでフランスに渡り、フランスの国自体に色々な分野でルネッサンスの息吹を吹き込んでいるのです。このイギリスでは、残念ながら起こりえなかったことですね。

レオナルド・ダ・ビンチ
1452年 4月15日生まれ
1519年 5月2日没 (享年67才)








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